の道を行くも、その到達点にして同一であらばかまわぬではないかと言った。短い一生の中にもすべてを知り、すべてたらんとする人間の欲念を、全然無視した叫びである。一つの声は二つの道のうち一つの道は悪であって、人の踏むべき道ではない、悪魔の踏むべき道だと言った。これは力ある声である。が一つの道のみを歩む人がついに人でなくなることは前にも言ったとおりである。
一二
今でもハムレットが深厚な同情をもって読まれるのは、ハムレットがこのディレンマの上に立って迷いぬいたからである。人生に対して最も聡明《そうめい》な誠実な態度をとったからである。雲のごとき智者と賢者と聖者と神人とを産み出した歴史のまっただ中に、従容《しょうよう》として動くことなきハムレットを仰ぐ時、人生の崇高と悲壮とは、深く胸にしみ渡るではないか。昔キリストは姦淫《かんいん》を犯せる少女を石にて搏《う》たんとしたパリサイ人に対し、汝らのうち罪なき者まず彼女を石にて搏つべしと言ったことがある。汝らのうち、心|尤《とが》めされぬ者まずハムレットを石にて搏つべしと言ったらばはたして誰が石を取って手を挙《あ》げうるであろう。一つの道を踏みかけては他の道に立ち帰り、他の道に足を踏み入れてなお初めの道を顧み、心の中に悶《もだ》え苦しむ人はもとよりのこと、一つの道をのみ追うて走る人でも、思い設けざるこの時かの時、眉目《びもく》の涼しい、額の青白い、夜のごとき喪服を着たデンマークの公子と面を会わせて、空恐ろしいなつかしさを感ずるではないか。
いかなる人がいかに言うとも、悲劇が人の同情を牽《ひ》くかぎり、二つの道は解決を見いだされずに残っているといわねばならぬ。
その思想と伎倆《ぎりょう》の最も円熟した時、後代に捧ぐべき代表的傑作として、ハムレットを捕えたシェクスピアは、人の心の裏表《うらおもて》を見知る詩人としての資格を立派に成就した人である。
一三
ハムレットには理智を通じて二つの道に対する迷いが現われている。未だ人全体すなわちテムペラメントその者が動いてはいない。この点においてヘダ・ガブラーは確かに非常な興味をもって迎えられるべき者であろう。
一四
ハムレットであるうちはいい。ヘダになるのは実に厭《いや》だ。厭でもしかたがない。智慧《ちえ》の実を味わい終わった人であってみれば、人として最上の
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