も》え出ずるというドフリスの実験報告は、私の個性の欲求をさながらに翻訳《ほんやく》して見せてくれる。若《も》しドフリスの Mutation Theory が実験的に否認される時が来たとしても、私の個性は、それは単にドフリスの実験の誤謬《ごびゅう》であって、自然界の誤謬ではないと主張しよう。少くとも地球の上には、意識的であると然らざるとに係わらず、個性認識、個性創造の不思議な力が働いているのだ。ベルグソンのいう純粋持続に於ける認識と体験は正《まさ》しく私の個性が承認するところのものだ。個性の中には物理的の時間を超越した経験がある。意識のふりかえりなる所謂《いわゆる》反省によっては掴《つか》めない経験そのものが認識となって現われ出る。そこにはもう自他の区別はない。二元的な対立はない。これこそは本当の生命の赤裸々な表現ではないかB私の個性は永くこの境地への帰還にあこがれていたのだ。
 例えば大きな水流を私は心に描く。私はその流れが何処《いずこ》に源を発し、何処に流れ去るのかを知らない。然しその河は漾々《ようよう》として無辺際から無辺際へと流れて行く。私は又その河の両岸をなす土壌の何物であるか
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