う。それだから人間として誰か悒鬱《ゆううつ》な眉《まゆ》をひそめない人があろう。人間が現わす表情の中、見る人を不快にさせる悒鬱な表情は、実に憎みによって奪い取って来た愛の鬼子《おにご》が、彼の衷にあって彼を刺戟《しげき》するのに因《よ》るのではないか。私はよくこの苦々しい悒鬱を知っている。それは人間が辛《かろ》うじて到達し得た境界から私が一歩を退転した、その意識によって引き起されるのだろう。多少でも愛することの楽しさを知った私は、憎むことの苦しさを痛感する。それはいずれも本能のさせる業ではあるけれども、愛するより憎むことが如何《いか》に楽しからぬものであるかを知って苦しまねばならぬ。恐らくはよく愛するものほど、強く憎むことを知っているだろう。同時に又憎むことの如何に苦しいものであるかを痛感するだろう。そしてどうかして憎まずにあり得ることに対して骨を折るだろう。
 憎まない、それは不可能のことだろうか。人間としては或は不可能であるかも知れない。然し少くとも憎悪《ぞうお》の対象を減ずることは出来る。出来る筈《はず》であるのみならず、私達は始終それを勉めているではないか。愛と憎みとが若《も》
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