な愛の貧乏人では決してなかったのだ。基督は私達を既に彼の中に奪ってしまったのだ。彼は私の耳に囁《ささや》いていう、「基督の愛は世の凡ての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽した。悪《あ》しきもの、醜きものも又私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与えかつ施したと見えるもの凡ては、実は凡て基督自身に与え施していたのだ。基督は与えざる一つのものもない。しかも何物をも失わず、凡てのものを得た。この大歓喜にお前もまた与《あず》かるがいい。基督のお前に要求するところはただこの一つの大事のみだ。お前が縦令《たとい》凡てを施し与えようとも永遠の生命を失っていたらそれが何になる。お前は偽善者を知っているか。それは犠牲献身という美名をむさぼって、自己に同化し切らない外物に対して浪費する人をいうのだ。自己に同化し切ったものに施すのは即ち自己に施すのだという、世にも感謝すべき事実を認め得ない程に、愛の隠れ家を見失ってしまった人のことだ。浪費の後の苦々しい後味を、強《し》いて笑いにまぎらすその歪《ゆが》んだ顔付を見るがいい。それは悲しい錯誤だ。お前が愛の極印の
前へ 次へ
全173ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング