か。けれども名前はどうでもいい。或る人は私の最後の到達を私の卑屈がさせた業《わざ》だというだろう。或る人は又私の勇気がさせた業だというかも知れない。ただ私自身にいわせるなら、それは必至な或る力が私をそこまで連れて来たという外はない。誰でもが、この同じ必至の力に促されていつか一度はその人自身に帰って行くのだ。少くとも死が間近かに彼に近づく時には必ずその力が来るに相違ない。一人として早晩個性との遭遇を避け得るものはない。私もまた人間の一人として、人間並みにこの時個性と顔を見合わしたに過ぎない。或る人よりは少し早く、そして或る人よりは甚《はなは》だおそく。
これは少くとも私に取っては何よりもいいことだった。私は長い間の無益な動乱の後に始めて些《いささ》かの安定を自分の衷《うち》に見出した。ここは居心がいい。仕事を始めるに当って、先《ま》ず坐り心地のいい一脚の椅子を得たように思う。私の仕事はこの椅子に倚《よ》ることによって最もよく取り運ばれるにちがいないのを得心する。私はこれからでも無数の煩悶《はんもん》と失敗とを繰り返すではあろうけれども、それらのものはもう無益に繰り返される筈がない。煩悶も必ず滋養ある食物として私に役立つだろう。私のこの椅子に身を託して、私の知り得たところを主に私自身のために書き誌《しる》しておこうと思う。私はこれを宣伝の為めに書くのではない。私の経験は狭く貧しくして、とてもそんな普遍的な訴えをなし得ないことを私はよく知っている。ただ私に似たような心の過程に在《あ》る少数の人がこれを読んで僅かにでも会心の微笑を酬《むく》ゆる事があったら、私自身を表現する喜びの上に更に大きな喜びが加えられることになる。
秩序もなく系統もなく、ただ喜びをもって私は書きつづける。
九
センティメンタリズム、リアリズム、ロマンティシズム――この三つのイズムは、その何《いず》れかを抱《いだ》く人の資質によって決定せられる。或る人は過去に現われたもの、若しくは現わるべかりしものに対して愛着を繋ぐ。そして現在をも未来をも能《あた》うべくんば過去という基調によって導こうとする。凡《すべ》ての美しい夢は、経験の結果から生れ出る。経験そのものからではない。そういう見方によって生きる人はセンティメンタリストだ。
また或る人は未来に現われるもの、若しくは現わるべきも
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