を烈《はげ》しく抱《いだ》いている点では、宗教的ということが出来る。然し私はお前のような浮薄な歩き方はしない。
お前は私のここにいるのを碌々《ろくろく》顧みもせずに、習慣とか軽い誘惑とかに引きずられて、直《す》ぐに友達と、聖書と、教会とに走って行った。私は深い危懼《きく》を以てお前の例の先き走りを見守っていた。お前は例の如く努力を始めた。お前の努力から受ける感じというのは、柄にもない飛び上りな行いをした後に毎時《いつ》でも残される苦しい後味なのだ。お前は一方に崇高な告白をしながら、基督《キリスト》のいう意味に於て、正《まさ》しく盗みをなし、姦淫《かんいん》をなし、人殺しをなし、偽りの祈祷《きとう》をなしていたではないか。お前の行いが疚《や》ましくなると「人の義とせらるるは信仰によりて、律法の行いに依らず」といって、乞食のように、神なるものに情けを乞うたではないか。又お前の信仰の虚偽を発《あば》かれようとすると「主よ主よというもの悉《ことごと》く天国に入るにあらず、吾が天に在《ましま》す神の旨に遵《よ》るもののみなり」といってお前を弁護したではないか。お前の神と称していたものは、畢竟するに極く幽《かす》かな私の影に過ぎなかった。お前は私を出し抜いて宗教生活に奔《はし》っておきながら、お前の信仰の対象なる神を、私の姿になぞらえて造っていたのだ。そしてお前の生活には本質的に何等の変化も来《きた》さなかった。若し変化があったとしても、それは表面的なことであって、お前以外の力を天啓としてお前が感じたことなどはなかった。お前は強いて頭を働かして神を想像していたに過ぎないのだ。即ちお前の最も表面的な理智と感情との作用で、かすかな私の姿を神にまで捏《こ》ねあげていたのだ。お前にはお前以外の力がお前に加わって、お前がそれを避けるにもかかわらず、その力によって奮い起《た》たなければならなかったような経験は一度もなかったのだ。それだからお前の祈りは、空に向って投げられた石のように、冷たく、力なく、再びお前の上に落ちて来る外はなかったのだ。それらの苦々《にがにが》しい経験に苦しんだにもかかわらず、お前は頑固《がんこ》にもお前自身を欺いて、それを精進と思っていた。そしてお前自身を欺くことによって他人をまで欺いていた。
お前はいつでも心にもない言行に、美しい名を与える詐術を用いていた。然し
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