あけて、二畳敷きほどもある大囲炉裏の切られた台所に出て見ると、そこの土間に、一人の男がまだ靴《くつ》も脱がずに突っ立っていた。農場の男も、その男にふさわしく肥《ふと》って大きな内儀《かみ》さんも、普通な背たけにしか見えないほどその客という男は大きかった。言葉どおりの巨人だ。頭からすっぽりと頭巾《ずきん》のついた黒っぽい外套《がいとう》を着て、雪まみれになって、口から白い息をむらむらと吐き出すその姿は、実際人間という感じを起こさせないほどだった。子供までがおびえた目つきをして内儀さんのひざの上に丸まりながら、その男をうろん[#「うろん」に傍点]らしく見詰めていた。
君ではなかったなと思うと僕は期待に裏切られた失望のために、いらいらしかけていた神経のもどかしい感じがさらにつのるのを覚えた。
「さ、ま、ずっとこっち[#「こっち」に傍点]にお上がりなすって」
農場の男は僕の客だというのでできるだけ丁寧にこういって、囲炉裏のそばの煎餅《せんべい》蒲団《ぶとん》を裏返した。
その男はちょっと頭で挨拶《あいさつ》して囲炉裏の座にはいって来たが、天井の高いだだっ広い台所にともされた五分心《ごぶしん》のランプと、ちょろちょろと燃える木節《きぶし》の囲炉裏火とは、黒い大きな塊的《マッス》とよりこの男を照らさなかった。男がぐっしょり[#「ぐっしょり」に傍点]湿った兵隊の古長靴《ふるながぐつ》を脱ぐのを待って、私は黙ったまま案内に立った。今はもう、この男によって、むだな時間がつぶされないように、いやな気分にさせられないようにと心ひそかに願いながら。
部屋《へや》にはいって二人が座についてから、私は始めてほんとうにその男を見た。男はぶきっちょう[#「ぶきっちょう」に傍点]に、それでも四角に下座にすわって、丁寧に頭を下げた。
「しばらく」
八畳の座敷に余るような※[#「※」は「金へん+肅」、第3水準1−93−39、36−13]《さび》を帯びた太い声がした。
「あなたはどなたですか」
大きな男はちょっときまり[#「きまり」に傍点]が悪そうに汗でしとどになったまっかな額をなでた。
「木本《きもと》です」
「え、木本君!?[#「!?」は第3水準1−8−78]」
これが君なのか。私は驚きながら改めてその男をしげしげと見直さなければならなかった。疳《かん》のために背たけも伸び切らない、どこか病質にさえ見えた悒鬱《ゆううつ》な少年時代の君の面影はどこにあるのだろう。また落葉松《からまつ》の幹の表皮からあすこここにのぞき出している針葉の一本をも見のがさずに、愛撫《あいぶ》し理解しようとする、スケッチ帳で想像されるような鋭敏な神経の所有者らしい姿はどこにあるのだろう。地《じ》をつぶしてさしこ[#「さしこ」に傍点]をした厚衣《あつし》を二枚重ね着して、どっしり[#「どっしり」に傍点]と落ち付いた君のすわり形は、私より五寸も高く見えた。筋肉で盛り上がった肩の上に、正しくはめ込まれた、牡牛《おうし》のように太い首に、やや長めな赤銅色の君の顔は、健康そのもののようにしっかり[#「しっかり」に傍点]と乗っていた。筋肉質な君の顔は、どこからどこまで引き締まっていたが、輪郭の正しい目鼻立ちの隈々《くまぐま》には、心の中からわいて出る寛大な微笑の影が、自然に漂っていて、脂肪気のない君の容貌《ようぼう》をも暖かく見せていた。「なんという無類な完全な若者だろう。」私は心の中でこう感嘆した。恋人を紹介する男は、深い猜疑《さいぎ》の目で恋人の心を見守らずにはいられまい。君の与えるすばらしい男らしい印象はそんな事まで私に思わせた。
「吹雪《ふぶ》いてひどかったろう」
「なんの。……温《ぬく》くって温くって汗がはあえらく出ました。けんど道がわかんねえで困ってると、しあわせよく水車番に会ったからすぐ知れました。あれは親身《しんみ》な人だっけ」
君の素直な心はすぐ人の心に触れると見える。あの水車番というのは実際このへんで珍しく心持ちのいい男だ。君は手ぬぐいを腰から抜いて湯げが立たんばかりに汗になった顔を幾度も押しぬぐった。
夜食の膳《ぜん》が運ばれた。「もう我慢がなんねえ」と言って、君は今まで堅くしていたひざをくずしてあぐらをかいた。「きちょうめん[#「きちょうめん」に傍点]にすわることなんぞははあねえもんだから。」二人は子供どうしのような楽しい心で膳《ぜん》に向かった。君の大食は愉快に私を驚かした。食後の茶を飯茶わんに三杯続けさまに飲む人を私は始めて見た。
夜食をすましてから、夜中まで二人の間に取りかわされた楽しい会話を私は今だに同じ楽しさをもって思い出す。戸外ではここを先途とあらしが荒れまくっていた。部屋《へや》の中ではストーブの向かい座にあぐらをかいて、癖のよう
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