君は小ざかしい邪魔者から毛糸の襟巻《えりまき》で包んだ顔をそむけながら、配縄を丹念におろし続ける。
すっと空が明るくなる。霰《あられ》はどこかへ行ってしまった。そしてまっさおな海面に、漁船は陰になりひなたになり、堅い輪郭を描いて、波にもまれながらさびしく漂っている。
きげん買いな天気は、一日のうちに幾度となくこうした顔のしかめ方をする。そして日が西に回るに従ってこのふきげんは募って行くばかりだ。
寒暑をかまっていられない漁夫たちも吹きざらしの寒さにはひるまずにはいられない。配縄《はいなわ》を投げ終わると、身ぶるいしながら五人の男は、舵座《かじざ》におこされた焜炉《こんろ》の火のまわりに慕い寄って、大きなお櫃《ひつ》から握り飯をわしづかみにつかみ出して食いむさぼる。港を出る時には一かたまりになっていた友船も、今は木の葉のように小さく互い互いからかけ隔たって、心細い弱々しそうな姿を、涯《はて》もなく露領に続く海原《うなばら》のここかしこに漂わせている。三里の余も離れた陸地は高い山々の半腹から上だけを水の上に見せて、降り積んだ雪が、日を受けた所は銀のように、雲の陰になった所は鉛のように、妙に険しい輪郭を描いている。
漁夫たちは口を食物で頬張《ほおば》らせながら、きのうの漁《りょう》のありさまや、きょうの予想やらをいかにも地味な口調で語り合っている。そういう時に君だけは自分が彼らの間に不思議な異邦人である事に気づく。同じ艪《ろ》をあやつり、同じ帆綱をあつかいながら、なんという悲しい心の距《へだた》りだろう。押しつぶしてしまおうと幾度試みても、すぐあとからまくしかかって来る芸術に対する執着をどうすることもできなかった。
とはいえ、飛行機の将校にすらなろうという人の少ない世の中に、生きては人の冒険心をそそっていかにも雄々しい頼みがいある男と見え、死んでは万人にその英雄的な最後を惜しみ仰がれ、遺族まで生活の保障を与えられる飛行将校にすらなろうという人の少ない世の中に、荒れても晴れても毎日毎日、一命を投げてかかって、緊張し切った終日の労働に、玉の緒で炊《た》き上げたような飯を食って一生を過ごして行かねばならぬ漁夫の生活、それにはいささかも遊戯的な余裕がないだけに、命とかけがえの真実な仕事であるだけに、言葉には現わし得ないほど尊さと厳粛さとを持っている。ましてや彼らがこの目
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