あまり筆をとめて窓の外をながめてみた。そして君の事を思った。

       二

 私が君に始めて会ったのは、私がまだ札幌《さっぽろ》に住んでいるころだった。私の借りた家は札幌の町はずれを流れる豊平川《とよひらがわ》という川の右岸にあった。その家は堤の下の一町歩ほどもある大きなりんご園の中に建ててあった。
 そこにある日の午後君は尋ねて来たのだった。君は少しふきげんそうな、口の重い、癇《かん》で背たけが伸び切らないといったような少年だった。きたない中学校の制服の立て襟《えり》のホックをうるさそう[#「うるさそう」に傍点]にはずしたままにしていた、それが妙な事にはことにはっきり[#「はっきり」に傍点]と私の記憶に残っている。
 君は座につくとぶっきらぼう[#「ぶっきらぼう」に傍点]に自分のかいた絵を見てもらいたいと言い出した。君は片手ではかかえ切れないほど油絵や水彩画を持ちこんで来ていた。君は自分自身を平気で虐《しいた》げる人のように、ふろしき包みの中から乱暴に幾枚かの絵を引き抜いて私の前に置いた。そしてじっ[#「じっ」に傍点]と探るように私の顔を見つめた。明《あか》らさまに言うと、その時私は君をいやに高慢ちきな若者だと思った。そして君のほうには顔も向けないで、よんどころなくさし出された絵を取り上げて見た。
 私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐ私を襲ったからだ。私は画面から目を放してもう一度君を見直さないではいられなくなった。で、そうした。その時、君は不安らしいそのくせ意地っぱりな目つきをして、やはり私を見続けていた。
 「どうでしょう。それなんかはくだらない出来《でき》だけれども」
 そう君はいかにも自分の仕事を軽蔑《けいべつ》するように言った。もう一度明らさまに言うが、私は一方で君の絵に喜ばしい驚きを感じながらも、いかにも思いあがったような君の物腰には一種の反感を覚えて、ちょっと皮肉でも言ってみたくなった。「くだらない出来がこれほどなら、会心の作というのはたいしたものでしょうね」とかなんとか。
 しかし私は幸いにもとっさにそんな言葉で自分を穢《けが》すことをのがれたのだった。それは私の心が美しかったからではない。君の絵がなんといっても君自身に対する私の反感に打
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