ら、柿江はぼろぼろになった自分の袴を脱いで、それに書物包みをくるみ始めた。森村は見向きもせずに前どおりな無表情な顔を眼の前の窓の鴨居《かもい》あたりに向けたままで、
「これからまたどこかに行くんか」
 とぼんやりいった。柿江は、
「うむ」
 と事もなげに答えるつもりだったが、自分ながら悒鬱《ゆううつ》だと思われるような返事になっていた。
「そこにおいとけ」
 ややしばらくして森村がこういった。
 まだ生徒たちは帰りきらないで、廊下で取組合いをするものもあるし、玄関に五六人ずつかたまって、教師といっしょに帰ろうと待ちながら、大声でわめいているものもあるし、煤掃《すすは》きのような音を立てて、教室の椅子卓《いすつくえ》を片づけているものもあった。柿江が戸外に出れば、「先生」と呼びかけて、取りすがってくる生徒が十四五人もいるのはわかりきっていた。柿江はそわそわした気分で、低い天井とすれすれにかけてある八角時計を見た。もう九時が十七分過ぎていた。しかしぐずぐずしていると、他の教師たちがその部屋にはいってくるのは知れている。それは面倒だ。柿江は已《や》むを得ず、
「それじゃ貴様頼むぞ」
 と言い
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