百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥《おく》さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
 と言いました。
 で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引《ひ》き網《あみ》をしていました。鳩は蘆《あし》の中にとまって歌いました。
 その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣《な》きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
 で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側《えんがわ》に出て手ミシンで縫物《ぬいもの》をしていました。顔は百合《ゆり》の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪《も》のベールのような黒い髪《かみ》、しかして罌粟《けし》のような赤い毛の帽子《ぼうし》をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛《まえか》けを縫っ
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