だから、私の処分についての、だいたいの様子はわかっておられたかとも思います。けれどもこの事柄は私の口ずから申し出ないと落ち着かない種類のものと信じますから、私は東京から出て来ました。
 第一、第二の農場を合して、約四百五十町歩の地積に、諸君は小作人として七十戸に近い戸数をもっています。今日になってみると、開墾しうべきところはたいてい開墾されて、立派に生産に役立つ土地になっていますが、開墾当初のことを考えると、一時代時代が隔たっているような感じがします。ここから見渡すことのできる一面の土地は、丈《た》け高い熊笹《くまざさ》と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資は東|倶知安《くっちゃん》から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。爾来《じらい》諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋《ほったてごや》を営み、あらゆる艱難《かんなん》と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美しい農作地を見るに至りました。もとより開墾の初期に草分けとして
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