抜く外にはない。運命が親切なものなら運命と握手してその愛撫を受ける唯一つの道は、人がその本能の執着を育てゝ「大死」を早める事によつて、運命を狂喜させる外にはない。何れにしても道は一つだ。

     ○

 だからホイットマンは歌つて云つた。
「来い、可憐ななつかしい死よ、
 地上の限りを隅もなく、落付いた足どりで近付く、近付く、
 昼にも、夜にも、凡ての人に、各の人に、
 早かれ遅かれ、華車な姿の死よ。

 測り難い宇宙は讚むべきかな。
 その生、その喜び、珍らしい諸相と知識、
 又その愛、甘い愛──然しながら更らに更らに讚むべきかな、
 かの冷静に凡てを捲きこむ死の確実な抱擁の手は。

 静かな足どりで小息みなく近づいて来る暗らき母よ。
 心からあなたの為めに歓迎の歌を唄つた人はまだ一人もないと云ふのか。
 それなら私は唄はう──私は凡てに勝つてあなたを光栄としよう。
 あなたが必ず来るものなら、間違ひなく来て下さいと唄ひ出でよう。

 近づけ、力強い救助者!
 それが運命なら──あなたが人々をかき抱いたら。私は喜んでその死者を唄はう。
 あなたの愛に満ちて流れ漂ふ大海原に溶けこんで、
 あなたの法楽の洪水に有頂天になつたその死者を唄はう。オヽ死よ。

 私からあなたに喜びの夜曲を、
 又舞踏を挨拶と共に申出る──部屋の飾りと饗宴も亦。
 若くは広やかな地の景色、若くは高く拡がる空、
 若くは生活、若くは圃園、若くは大きな物思はしい夜は凡てあなたにふさはしい。

 若くは星々に守られた静かな夜、
 若くは海の汀、私の聞き知つたあの皺がれ声でさゝやく波。
 若くは私の魂はあなたに振り向く、オヽ際限もなく大きな、面紗かたき死よ、
 そして肉体は感謝してあなたの膝の上に丸まつて巣喰ふ。

 梢の上から私は歌を空に漂はす、
 紆り動く浪を越えて──無数の圃園と荒涼たる大草原とを越えて、
 建てこんだ凡ての市街と、群衆に埋まる繋船場《ふなつきば》と道路とを越えて、
 私はこの歌を喜び勇んで空に漂はす、オヽ死よ」 (一九一八、九月十七日)



底本:「日本の名随筆96 運」作品社
   1990(平成2)年10月25日第1刷発行
   1996(平成8)年8月25日第6刷発行
底本の親本:「有島武郎全集 第七巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年4月発行
入力:石橋幸
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