絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病《おくびょう》になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
 今ではいつの頃《ころ》だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄《ぶどう》の実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに霽《は》れわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰《たれ》かが気がついて見たら、顔も屹度《きっと》青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに坐《すわ》っている生徒と話《はなし》をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。

     二

 僕はかわいい顔はしていたかも知れないが体《からだ》も心も弱い子でした。その上|臆病者《おくびょうもの》で、言いたいことも言わずにすますような質《たち》でした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。昼御飯がすむと他《ほか》の子供達は活溌《かっぱつ》に運動場《うんどうば》に出て走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場《きょうじょう》に這入《はい》っていました。そとが明るいだけに教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。自分の席に坐《すわ》っていながら僕の眼は時々ジムの卓《テイブル》の方に走りました。ナイフで色々ないたずら書きが彫りつけてあって、手垢《て
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング