古藤は、明らかな疑いを示しつつ葉子を見ながら、さらに語り続けた所によれば、古藤は木村の手紙を読んでから思案に余って、その足ですぐ、まだ釘店《くぎだな》の家の留守番をしていた葉子の叔母《おば》の所を尋ねてその考えを尋ねてみようとしたところが、叔母は古藤の立場がどちらに同情を持っているか知れないので、うっかり[#「うっかり」に傍点]した事はいわれないと思ったか、何事も打ち明けずに、五十川《いそがわ》女史に尋ねてもらいたいと逃げを張ったらしい。古藤はやむなくまた五十川女史を訪問した。女史とは築地《つきじ》のある教会堂の執事の部屋《へや》で会った。女史のいう所によると、十日ほど前に田川夫人の所から船中における葉子の不埒《ふらち》を詳細に知らしてよこした手紙が来て、自分としては葉子のひとり旅を保護し監督する事はとても力に及ばないから、船から上陸する時もなんの挨拶《あいさつ》もせずに別れてしまった。なんでもうわさで聞くと病気だといってまだ船に残っているそうだが、万一そのまま帰国するようにでもなったら、葉子と事務長との関係は自分たちが想像する以上に深くなっていると断定してもさしつかえない。せっかく依頼を受けてその責めを果たさなかったのは誠にすまないが、自分たちの力では手に余るのだから推恕《すいじょ》していただきたいと書いてあった。で、五十川女史は田川夫人がいいかげんな捏造《ねつぞう》などする人でないのをよく知っているから、その手紙を重《おも》だった親類たちに示して相談した結果、もし葉子が絵島丸で帰って来たら、回復のできない罪を犯したものとして、木村に手紙をやって破約を断行させ、一面には葉子に対して親類一同は絶縁する申し合わせをしたという事を聞かされた。そう古藤は語った。
「僕《ぼく》はこんな事を聞かされて途方に暮れてしまいました。あなたはさっきから倉地というその事務長の事を平気で口にしているが、こっちではその人が問題になっているんです。きょうでも僕《ぼく》はあなたにお会いするのがいいのか悪いのかさんざん迷いました。しかし約束ではあるし、あなたから聞いたらもっと事柄もはっきり[#「はっきり」に傍点]するかと思って、思いきって伺う事にしたんです。……あっちにたった一人《ひとり》いて五十川《いそがわ》さんから恐ろしい手紙を受け取らなければならない木村君を僕は心から気の毒に思うんです。
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