れ、ね、よござんすか。わたしはお嫁なんぞに行かないでもいい、あなた方《がた》とこうしているほどうれしい事はないと思いますよ。木村さんのほうにお金でもできて、わたしの病気がなおりさえすれば結婚するようになるかもしれないけれども、それはいつの事ともわからないし、それまではわたしはこうしたままで、あなた方《がた》と一緒にどこかにお家を持って楽しく暮らしましょうね。いいだろう貞《さあ》ちゃん。もう寄宿なんぞにいなくってもようござんすよ」
 「おねえさまわたし寄宿では夜になるとほんとうは泣いてばかりいたのよ。愛ねえさんはよくお寝になってもわたしは小さいから悲しかったんですもの」
 そう貞世は白状するようにいった。さっきまではいかにも楽しそうにいっていたその可憐《かれん》な同じ口びるから、こんな哀れな告白を聞くと葉子は一入《ひとしお》しんみり[#「しんみり」に傍点]した心持ちになった。
 「わたしだってもよ。貞《さあ》ちゃんは宵《よい》の口だけくすくす泣いてもあとはよく寝ていたわ。ねえ様、私は今まで貞《さあ》ちゃんにもいわないでいましたけれども……みんなが聞こえよがしにねえ様の事をかれこれいいますのに、たまに悪いと思って貞《さあ》ちゃんと叔母《おば》さんの所に行ったりなんぞすると、それはほんとうにひどい……ひどい事をおっしゃるので、どっち[#「どっち」に傍点]に行ってもくやしゅうございましたわ。古藤さんだってこのごろはお手紙さえくださらないし……田島先生だけはわたしたち二人《ふたり》をかわいそうがってくださいましたけれども……」
 葉子の思いは胸の中で煮え返るようだった。
 「もういい堪忍《かんにん》してくださいよ。ねえさんがやはり至らなかったんだから。おとうさんがいらっしゃればお互いにこんないやな目にはあわないんだろうけれども(こういう場合葉子はおくび[#「おくび」に傍点]にも母の名は出さなかった)親のないわたしたちは肩身が狭いわね。まああなた方《がた》はそんなに泣いちゃだめ。愛さんなんですねあなたから先に立って。ねえさんが帰った以上はねえさんになんでも任して安心して勉強してくださいよ。そして世間の人を見返しておやり」
 葉子は自分の心持ちを憤ろしくいい張っているのに気がついた。いつのまにか自分までが激しく興奮していた。
 火鉢《ひばち》の火はいつか灰になって、夜寒《よさむ》
前へ 次へ
全233ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング