て、そのあとに激しい南風が吹いて、東京の市街はほこりまぶれになって、空も、家屋も、樹木も、黄粉《きなこ》でまぶしたようになったあげく、気持ち悪く蒸し蒸しと膚を汗ばませるような雨に変わったある日の朝、葉子はわずかばかりな荷物を持って人力車で加治木病院に送られた。後ろの車には愛子が荷物の一部分を持って乗っていた。須田町《すだちょう》に出た時、愛子の車は日本橋の通りをまっすぐに一足《ひとあし》先に病院に行かして、葉子は外濠《そとぼり》に沿うた道を日本銀行からしばらく行く釘店《くぎだな》の横丁《よこちょう》に曲がらせた。自分の住んでいた家を他所《よそ》ながら見て通りたい心持ちになっていたからだった。前幌《まえほろ》のすきまからのぞくのだったけれども、一年の後にもそこにはさして変わった様子は見えなかった。自分のいた家の前でちょっと車を止まらして中をのぞいて見た。門札には叔父《おじ》の名はなくなって、知らない他人の姓名が掲げられていた。それでもその人は医者だと見えて、父の時分からの永寿堂《えいじゅどう》病院という看板は相変わらず玄関の※[#「※」は「きへんに眉」、283−6]《なげし》に見えていた。長三洲《ちょうさんしゅう》と署名してあるその字も葉子には親しみの深いものだった。葉子がアメリカに出発した朝も九月ではあったがやはりその日のようにじめじめと雨の降る日だったのを思い出した。愛子が櫛《くし》を折って急に泣き出したのも、貞世が怒《おこ》ったような顔をして目に涙をいっぱいためたまま見送っていたのもその玄関を見ると描くように思い出された。
「もういい早くやっておくれ」
そう葉子は車の上から涙声でいった。車は梶棒《かじぼう》を向け換えられて、また雨の中を小さく揺れながら日本橋のほうに走り出した。葉子は不思議にそこに一緒に住んでいた叔父叔母《おじおば》の事を泣きながら思いやった。あの人たちは今どこにどうしているだろう。あの白痴の子ももうずいぶん大きくなったろう。でも渡米を企ててからまだ一年とはたっていないんだ。へえ、そんな短い間にこれほどの変化が……葉子は自分で自分にあきれるようにそれを思いやった。それではあの白痴の子も思ったほど大きくなっているわけではあるまい。葉子はその子の事を思うとどうしたわけか定子の事を胸が痛むほどきびしくおもい出してしまった。鎌倉《かまくら》に行った時
前へ
次へ
全233ページ中208ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング