分から使って行かなければならなかった。まだまだと思っているうちに束の厚みはどんどん減って行った。それが半分ほど減ると、葉子は全く返済の事などは忘れてしまったようになって、あるに任せて惜しげもなく仕払いをした。
 七月にはいってから気候はめっきり暑くなった。椎《しい》の木の古葉もすっかり[#「すっかり」に傍点]散り尽くして、松も新しい緑にかわって、草も木も青い焔《ほのお》のようになった。長く寒く続いた五月雨《さみだれ》のなごりで、水蒸気が空気中に気味わるく飽和されて、さらぬだに急に堪《た》え難《がた》く暑くなった気候をますます堪え難いものにした。葉子は自身の五体が、貞世の回復をも待たずにずんずんくずれて行くのを感じないわけには行かなかった。それと共に勃発的《ぼっぱつてき》に起こって来るヒステリーはいよいよ募るばかりで、その発作《ほっさ》に襲われたが最後、自分ながら気が違ったと思うような事がたびたびになった。葉子は心ひそかに自分を恐れながら、日々の自分を見守る事を余儀なくされた。
 葉子のヒステリーはだれかれの見さかいなく破裂するようになったがことに愛子に屈強の逃げ場を見いだした。なんといわれてもののしられても、打ち据《す》えられさえしても、屠所《としょ》の羊のように柔順に黙ったまま、葉子にはまどろしく見えるくらいゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]落ち着いて働く愛子を見せつけられると、葉子の疳癪《かんしゃく》は嵩《こう》じるばかりだった。あんな素直《すなお》な殊勝げなふうをしていながらしらじらしくも姉を欺いている。それが倉地との関係においてであれ、岡との関係においてであれ、ひょっとすると古藤との関係においてであれ、愛子は葉子に打ち明けない秘密を持ち始めているはずだ。そう思うと葉子は無理にも平地に波瀾《はらん》が起こしてみたかった。ほとんど毎日――それは愛子が病院に寝泊まりするようになったためだと葉子は自分|決《ぎ》めに決めていた――幾時間かの間、見舞いに来てくれる岡に対しても、葉子はもう元のような葉子ではなかった。どうかすると思いもかけない時に明白な皮肉が矢のように葉子の口びるから岡に向かって飛ばされた。岡は自分が恥じるように顔を紅《あか》らめながらも、上品な態度でそれをこらえた。それがまたなおさら葉子をいらつかす種《たね》になった。
 もう来《こ》られそうもないといいな
前へ 次へ
全233ページ中194ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング