い忙しいっていっときながらお酒ばかり飲んでいらっしゃるんだもの。ね、行きましょうよ。こら見てちょうだい」
そういいながら葉子は立ち上がって、両手を左右に広く開いて、袂《たもと》が延びたまま両腕からすらり[#「すらり」に傍点]とたれるようにして、やや剣《けん》を持った笑いを笑いながら倉地のほうに近寄って行った。倉地もさすがに、今さらその美しさに見惚《みと》れるように葉子を見やった。天才が持つと称せられるあの青色をさえ帯びた乳白色の皮膚、それがやや浅黒くなって、目の縁《ふち》に憂いの雲をかけたような薄紫の暈《かさ》、霞《かす》んで見えるだけにそっ[#「そっ」に傍点]と刷《は》いた白粉《おしろい》、きわ立って赤くいろどられた口びる、黒い焔《ほのお》を上げて燃えるようなひとみ、後ろにさばいて束ねられた黒漆《こくしつ》の髪、大きなスペイン風《ふう》の玳瑁《たいまい》の飾り櫛《ぐし》、くっきりと白く細い喉《のど》を攻めるようにきりっ[#「きりっ」に傍点]と重ね合わされた藤色《ふじいろ》の襟《えり》、胸のくぼみにちょっとのぞかせた、燃えるような緋《ひ》の帯上げのほかは、ぬれたかとばかりからだにそぐって底光りのする紫紺色の袷《あわせ》、その下につつましく潜んで消えるほど薄い紫色の足袋《たび》(こういう色足袋は葉子がくふうし出した新しい試みの一つだった)そういうものが互い互いに溶け合って、のどやかな朝の空気の中にぽっかり[#「ぽっかり」に傍点]と、葉子という世にもまれなほど悽艶《せいえん》な一つの存在を浮き出さしていた。その存在の中から黒い焔《ほのお》を上げて燃えるような二つのひとみが生きて動いて倉地をじっ[#「じっ」に傍点]と見やっていた。
倉地が物をいうか、身を動かすか、とにかく次の動作に移ろうとするその前に、葉子は気味の悪いほどなめらかな足どりで、倉地の目の先に立ってその胸の所に、両手をかけていた。
「もうわたしに愛想が尽きたら尽きたとはっきり[#「はっきり」に傍点]いってください、ね。あなたは確かに冷淡におなりね。わたしは自分が憎うござんす、自分に愛想を尽かしています。さあいってください、……今……この場で、はっきり[#「はっきり」に傍点]……でも死ねとおっしゃい、殺すとおっしゃい。わたしは喜んで……わたしはどんなにうれしいかしれないのに。……ようござんすわ、なんでもわ
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