鳳晶子《ほうあきこ》[#底本ではルビが「おおとりあきこ」]の詩集だった。そこには「明星《みょうじょう》」という文芸雑誌だの、春雨《しゅんう》の「無花果《いちじく》」だの、兆民居士《ちょうみんこじ》の「一|年有半《ねんゆうはん》」だのという新刊の書物も散らばっていた。
 「まあ岡さんもなかなかのロマンティストね、こんなものを愛読なさるの」
 と葉子は少し皮肉なものを口じりに見せながら尋ねてみた。岡は静かな調子で訂正するように、
 「それは愛子さんのです。わたし今ちょっと拝見しただけです」
 「これは」
 といって葉子は今度は「一年有半」を取り上げた。
 「それは岡さんがきょう貸してくださいましたの。わたしわかりそうもありませんわ」
 愛子は姉の毒舌をあらかじめ防ごうとするように。
 「へえ、それじゃ岡さん、あなたはまたたいしたリアリストね」
 葉子は愛子を眼中にもおかないふうでこういった。去年の下半期の思想界を震憾《しんかん》したようなこの書物と続編とは倉地の貧しい書架の中にもあったのだ。そして葉子はおもしろく思いながらその中を時々拾い読みしていたのだった。
 「なんだかわたしとはすっかり[#「すっかり」に傍点]違った世界を見るようでいながら、自分の心持ちが残らずいってあるようでもあるんで……わたしそれが好きなんです。リアリストというわけではありませんけれども……」
 「でもこの本の皮肉は少しやせ我慢ね。あなたのような方《かた》にはちょっと不似合いですわ」
 「そうでしょうか」
 岡は何とはなく今にでも腫《は》れ物《もの》にさわられるかのようにそわそわしていた。会話は少しもいつものようにははずまなかった。葉子はいらいらしながらもそれを顔には見せないで今度は愛子のほうに槍先《やりさき》を向けた。
 「愛さんお前こんな本をいつお買いだったの」
 といってみると、愛子は少しためらっている様子だったが、すぐに素直な落ち着きを見せて、
 「買ったんじゃないんですの。古藤さんが送ってくださいましたの」
 といった。葉子はさすがに驚いた。古藤はあの会食の晩、中座したっきり、この家には足踏みもしなかったのに……。葉子は少し激しい言葉になった。
 「なんだってまたこんな本を送っておよこしなさったんだろう。あなたお手紙でも上げたのね」
 「えゝ、……くださいましたから」
 「どんなお手紙
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