よりも葉子の言葉と心とに信用をおく。親友であってもこの問題については、君の勧告だけでは心は動かない。こうなんです。木村ってのはそんな男なんですよ(古藤の言葉はちょっと曇ったがすぐ元のようになった)。それをあなたは黙っておくのは少し変だと思います」
 「それで……」
 葉子は少し座を乗り出して古藤を励ますように言葉を続けさせた。
 「木村からは前からあなたの所に行ってよく事情を見てやってくれ、病気の事も心配でならないからといって来てはいるんですが、僕は自分ながらどうしようもない妙な潔癖があるもんだからつい伺いおくれてしまったのです。なるほどあなたは先《せん》よりはやせましたね。そうして顔の色もよくありませんね」
 そういいながら古藤はじっ[#「じっ」に傍点]と葉子の顔を見やった。葉子は姉のように一段の高みから古藤の目を迎えて鷹揚《おうよう》にほほえんでいた。いうだけいわせてみよう、そう思って今度は岡のほうに目をやった。
 「岡さん。あなた今古藤さんのおっしゃる事をすっかり[#「すっかり」に傍点]お聞きになっていてくださいましたわね。あなたはこのごろ失礼ながら家族の一人《ひとり》のようにこちらに遊びにおいでくださるんですが、わたしをどうお思いになっていらっしゃるか、御遠慮なく古藤さんにお話しなすってくださいましな。決して御遠慮なく……わたしどんな事を伺っても決して決してなんとも思いはいたしませんから」
 それを聞くと岡はひどく当惑して顔をまっ赤《か》にして処女のように羞恥《はに》かんだ。古藤のそばに岡を置いて見るのは、青銅の花《か》びんのそばに咲きかけの桜を置いて見るようだった。葉子はふと心に浮かんだその対比を自分ながらおもしろいと思った。そんな余裕を葉子は失わないでいた。
 「わたしこういう事柄《ことがら》には物をいう力はないように思いますから……」
 「そういわないでほんとうに思った事をいってみてください。僕は一徹ですからひどい思い間違いをしていないとも限りませんから。どうか聞かしてください」
 そういって古藤も肩章《けんしょう》越しに岡を顧みた。
 「ほんとうに何もいう事はないんですけれども……木村さんにはわたし口にいえないほど御同情しています。木村さんのようないい方《かた》が今ごろどんなにひとりでさびしく思っていられるかと思いやっただけでわたしさびしくなってしま
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