い発見をしたように思った。ほんとうは二人だけの孤独に苦しみ始めたのは倉地だけではなかったのか。ある時にはそのさびしい坂道の上下から、立派な馬車や抱《かか》え車《ぐるま》が続々坂の中段を目ざして集まるのにあう事があった。坂の中段から紅葉館の下に当たる辺に導かれた広い道の奥からは、能楽《のうがく》のはやし[#「はやし」に傍点]の音がゆかしげにもれて来た。二人ヘ能楽堂での能の催しが終わりに近づいているのを知った。同時にそんな事を見たのでその日が日曜日である事にも気がついたくらい二人の生活は世間からかけ離れていた。
 こうした楽しい孤独もしかしながら永遠には続き得ない事を、続かしていてはならない事を鋭い葉子の神経は目ざとくさとって行った。ある日倉地が例のように庭に出て土いじりに精を出している間に、葉子は悪事でも働くような心持ちで、つやにいいつけて反古紙《ほごがみ》を集めた箱を自分の部屋《へや》に持って来《こ》さして、いつか読みもしないで破ってしまった木村からの手紙を選《え》り出そうとする自分を見いだしていた。いろいろな形に寸断された厚い西洋紙の断片が木村の書いた文句の断片をいくつもいくつも葉子の目にさらし出した。しばらくの間《あいだ》葉子は引きつけられるようにそういう紙片を手当たり次第に手に取り上げて読みふけった。半成の画《え》が美しいように断簡にはいい知れぬ情緒が見いだされた。その中に正しく織り込まれた葉子の過去が多少の力を集めて葉子に逼《せま》って来るようにさえ思え出した。葉子はわれにもなくその思い出に浸って行った。しかしそれは長い時が過ぎる前にくずれてしまった。葉子はすぐ現実に取って返していた。そしてすべての過去に嘔《は》き気《け》のような不快を感じて箱ごと台所に持って行くとつやに命じて裏庭でその全部を焼き捨てさせてしまった。
 しかしこの時も葉子は自分の心で倉地の心を思いやった。そしてそれがどうしてもいい徴候でない事を知った。そればかりではない。二人《ふたり》は霞《かすみ》を食って生きる仙人《せんにん》のようにしては生きていられないのだ。職業を失った倉地には、口にこそ出さないが、この問題は遠からず大きな問題として胸に忍ばせてあるのに違いない。事務長ぐらいの給料で余財ができているとは考えられない。まして倉地のように身分不相応な金づかいをしていた男にはなおの事だ。その点
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