]しなかった。大きな駄々児《だだっこ》のように、顔を洗うといきなり[#「いきなり」に傍点]膳《ぜん》の前にあぐらをかいて、葉子が作って出したものを片端からむしゃむしゃときれいに片づけて行った。これが木部だったら、出す物の一つ一つに知ったかぶりの講釈をつけて、葉子の腕まえを感傷的にほめちぎって、かなりたくさんを食わずに残してしまうだろう。そう思いながら葉子は目でなでさするようにして倉地が一心に箸《はし》を動かすのを見守らずにはいられなかった。
やがて箸と茶わんとをからり[#「からり」に傍点]となげ捨てると、倉地は所在なさそうに葉巻をふかしてしばらくそこらをながめ回していたが、いきなり[#「いきなり」に傍点]立ち上がって尻《しり》っぱしょり[#「ぱしょり」に傍点]をしながら裸足《はだし》のまま庭に飛んで降りた。そしてハーキュリーズが針仕事でもするようなぶきっちょう[#「ぶきっちょう」に傍点]な様子で、狭い庭を歩き回りながら片すみから片づけ出した。まだびしゃ[#「びしゃ」に傍点]びしゃするような土の上に大きな足跡が縦横にしるされた。まだ枯れ果てない菊や萩《はぎ》などが雑草と一緒くたに情けも容赦もなく根こぎにされるのを見るとさすがの葉子もはらはらした。そして縁ぎわにしゃがんで柱にもたれながら、時にはあまりのおかしさに高く声をあげて笑いこけずにはいられなかった。
倉地は少し働き疲れると苔香園のほうをうかがったり、台所のほうに気を配ったりしておいて、大急ぎで葉子のいる所に寄って来た。そして泥《どろ》になった手を後ろに回して、上体を前に折り曲げて、葉子の鼻の先に自分の顔を突き出してお壺口《つぼぐち》をした。葉子もいたずららしく周囲に目を配ってその顔を両手にはさみながら自分の口びるを与えてやった。倉地は勇み立つようにしてまた土の上にしゃがみこんだ。
倉地はこうして一日働き続けた。日がかげるころになって葉子も一緒に庭に出てみた。ただ乱暴な、しょう事なしのいたずら仕事とのみ思われたものが、片づいてみるとどこからどこまで要領を得ているのを発見するのだった。葉子が気にしていた便所の屋根の前には、庭のすみにあった椎《しい》の木が移してあったりした。玄関前の両側の花壇の牡丹《ぼたん》には、藁《わら》で器用に霜がこいさえしつらえてあった。
こんなさびしい杉森の中の家にも、時々紅葉館のほう
前へ
次へ
全233ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング