いように仁右衛門は先きに立って瀬踏みをしながら歩いた。大きな荷を背負った二人の姿はまろびがちに少しずつ動いて行った。共同墓地の下を通る時、妻は手を合せてそっちを拝みながら歩いた――わざとらしいほど高い声を挙げて泣きながら。二人がこの村に這入《はい》った時は一頭の馬も持っていた。一人の赤坊もいた。二人はそれらのものすら自然から奪い去られてしまったのだ。
 その辺から人家は絶えた。吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。
 二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安《くっちゃん》の方に動いて行った。
 椴松帯《とどまつたい》が向うに見えた。凡《すべ》ての樹《き》が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱《ゆううつ》な暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝《つ》いて、怒濤《どとう》のような風の音を籠《こ》めていた。二人の男女は蟻《あり》のように小さくその林に近づいて、やがてその中に呑み込まれてしまった。
(一九一七、六、一三、鶏鳴を聞きつつ擱筆《かくひつ》)



底本:「カイン
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