び》えて氣を腐らした。内儀さんと千登世とは今日の日まで姉妹もたゞならぬほど睦《むつまじ》くして來たし、近所の人達が千登世のところへ持つて來る針仕事を内儀さんは二階まで持つて上つてくれ、急ぎの仕立がまだ縫ひ上つてない場合は千登世に代つて巧く執成《とりな》してくれ一日に何遍となく梯子段《はしごだん》を昇り降りして八百屋酒屋の取次ぎまでしてくれたり、二人は内儀さんの數々の心づくしを思ふと、心悸《しんき》の亢進を覺えるほど滿ち溢れた感激を持つてゐた矢先だつたので。故郷の家から圭一郎に送つて寄越す千登世には決して見せてはならない音信を彼女には内密に窃《そ》つと圭一郎に手渡す役目を内儀さんは引き受けてくれる等、萬事萬端、痒《かゆ》いところに手の屆くやうにしてくれた思ひ遣りも、その夜を境に掌を返すやうに變つてしまつた。圭一郎の弱り方は並大抵ではなかつた。「ちえつ! 他人の不具な足をじろ/\見るなんて奴があるものか! 女がそんな愼みのないことでどうする!」圭一郎は癇癪を起して眼を聳《そばだ》てて千登世に突掛つた。「わたし惡うございました」と彼女は一度は謝《あやま》りはしたが、眉をぴり/\引吊り唇を顫はして「こんな辛いこつたらない、いつそ死んでしまふ!」とか「そんなにお非難《せめ》になるんなら、たつた今わたしあなたから去つて行きます!」とか、つひぞ反抗の色を見せたことのない千登世も、身に火の燃え付いたやうに狂はしく泣きわめいた。二人は毎日々々、千登世の針仕事の得意を遠去らない範圍の界隈を貸間探しに歩き廻つた。探すとなればあれだけ多い貸間もおいそれとは見當らない。圭一郎は郷里の家の大きな茅葺《かやぶき》屋根の、爐間の三十疊もあるやうなだゝつ廣い百姓家を病的に嫌つて、それを二束三文に賣り拂ひ、近代的のこ瀟洒《ざつぱり》した家に建て替へようと強請《せが》んで、その都度父をどんなに悲しませたかしれない。先々代の家が隆盛の頂にあつた時裏の欅山《けやきやま》を坊主にして普請《ふしん》したこの家の棟上式《むねあげしき》の賑ひは近所の老人達の話柄になつて今も猶ほ傳へられてゐる。「圭一郎もそないな罰當りを言や今に掘立小屋に住ふやうにならうぞ」と父は殆ど泣いて彼の不心得を諫《いさ》め窘《たしな》めた。圭一郎は現在、膝を容るる二疊敷、土鍋一つでらち[#「らち」に傍点]あけよう、その掘立小屋が血眼になつて探
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