と浴び乍ら、信州訛で、やれ福助が、やれ菊五郎が、などと役者の聲色《こわいろ》や身振りを眞似て、賑かな芝居の話しで持切りだつた。何を生業に暮らしてゐるのか周圍の人達にはさつぱり分らない、口數少く控へ目勝な彼等の棲家へ、折々、大屋の醫者の未亡人の一徹な老婢があたり憚《はゞか》らぬ無遠慮な權柄《けんぺい》づくな聲で縫物の催促に呶鳴り込んで來ると、裏の婆さん達は申し合せたやうにぱつたり彈んだ話しを止め、そして聲を潜めて何かこそ/\と囁き合ふのであつた。
天氣の好い日には崖上から眠りを誘ふやうな物賣りの聲が長閑《のどか》に聞えて來た。「草花や、草花や」が、「ナスの苗、キウリの苗、ヒメユリの苗」といふ聲に變つたかと思ふと瞬《またゝ》く間に、「ドジヨウはよござい、ドジヨウ」に變り、軈《やが》て初夏の新緑をこめた輝かしい爽かな空氣の波が漂うて來て、金魚賣りの聲がそちこちの路地から聞えて來た。その聲を耳にするのも悲しみの一つだ。故郷の村落を縫うてゆるやかに流れる椹野川《ふしのがは》の川畔の草土手に添つて曲り迂《くね》つた白つぽい往還に現れた、H縣の方から山を越えて遣つて來る菅笠を冠つた金魚賣りの、天秤棒《てんびんぼう》を撓《しな》はせながら「金魚ヨーイ、鯉の子……鯉の子、金魚ヨイ」といふ觸れの聲がうら淋しい諧調を奏でて聞えると、村ぢゆうの子供の小さな心臟は躍るのだつた。學校から歸るなり無理強ひにさせられる算術の復習の憶えが惡くて勝ち氣な氣性の妻に叱りつけられた愁ひ顏の子供の、「父ちやん、金魚買うてくれんかよ」といふ可憐な聲が、忍びやかな小さな足音が、三百餘里を距たつたこの崖下の家の窓に聞えるやうな氣がするのであつた。
いつか梅雨期の蒸々した鬱陶しい日が來た。霧のやうな小雨がじめ/\と時雨《しぐ》れると、何處からともなく蛙のコロ/\と咽喉を鳴らす聲が聞えて來ると、忽然、圭一郎の眼には、都會の一隅のこの崖下の一帶が山間に折り重つた故郷の山村の周圍の青緑にとりかこまれた、賑かな蛙鳴きの群がる蒼い水田と變じるのであつた。さうして今頃は田舍は田植の最中であることが思はれた。昔日の激しい勞働を寄る年波と共に今は止してゐても、父の身神には安息の日は終《つ》ひに見舞はないのである。何十年といふ長い年月の間、雨の日も風の日も、烈しい耕作を助けて父と辛苦艱難を共にして來た、今は薄日も漏れない暗い納屋
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