ら出た錆であつた。圭一郎は世の人々の同情にすがつて手を差伸べて日々の糧を求める乞丐《こじき》のやうに、毎日々々、あちこちの知名の文士を訪ねて膝を地に折つて談話を哀願した。が智慧の足りなさから執拗に迫つて嫌はれてすげなく拒絶されることが多かつた。時には玄關番にうるさがられて脅《おど》し文句を浴せられたりした。彼はひたすらに自分を鞭うち勵ましたが、日蔭者の身の、落魄の身の僻《ひが》みから、夕暮が迫つて來ると味氣ない心持になつて、思ひ惱んだ眼ざしを古ぼけて色の褪せたくしや/\の中折帽の廂《ひさし》にかくし、齒のすり減つた日和《ひより》の足を曳擦つて、そして、草の褥《しとね》に憩ふ旅人の遣瀬ない氣持を感じながら、千登世を隱蔽してあるこの窖《あなぐら》に似た屋根裏を指して歸つて來るのであつた。――彼女との結合の絲が、煩はしい束縛から、闇地を曳きずる太い鐵鎖とも、今はなつてゐるのではないかしら? 自分には分らない。彼は沈思し佇立《たちどま》つて荒い溜息を吐くのであつた。精一杯の力を出し生活に血みどろになりながらも、一度自分に立返ると荒寥たる思ひに閉されがちだ。何處からともなく吹きまくつて來る一陣の呵責《かしやく》の暴風に胴震ひを覺えるのも瞬間、自らの折檻《せつかん》につゞくものは穢惡《あいあく》な凡情に走《は》せ使はれて安時ない無明の長夜だ。自分はこの世に生れて來たことを、哀しい生存を、狂亂所爲多き斯《か》く在ることの、否定にも肯定にも、脱落を防ぐべき楔《くさび》の打ちこみどころを知らない。圭一郎は又しても、病み疲れた獸のやうな熱い息吹を吐き、鈍い目蓋を開いて光の消えた瞳を据ゑ、今更のやうに邊《あたり》を四顧するのであつた。……

「何にを今から、そんなに騷ぐんだい! まだ家も見つかりはしないのに!」
 或る日社から早目に歸つて來た圭一郎の苛々《いら/\》した尖つた聲に、千登世はひとたまりもなく竦《すく》み上つて、
「見つかり次第、何時でも引き越せるやうにと思つて……」と微かな低聲《こごゑ》で怖々言つて、蒼ざめた瓜實顏をあげて哀願するやうな眼付を彼に向け、そして片付けてゐたトランクの蓋をぱたり[#「ぱたり」に傍点]と蔽うた。
 其トランクは、彼女の養父の、今は亡くなつた相場師の彼女へ遺された唯一の形見だつた。相場師の臨終の枕元に集《つど》うた甥や姪や縁者の人たちは、相場師が息を
前へ 次へ
全21ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング