、有閑階級の人達ばかりで、夏場はみな海や山に暑さを避けて、私ども夫婦は、さながら野中の一軒屋に佗び住むやうな思ひであつた。夕食が濟むと、私は六疊に仰向けになつて團扇を使ふ。暗い電燈、貧弱な机、本箱一つ、雨の夜の淋しさ――大體そんな風の感じである。
 私達は低い聲で話し合ふのであつた。
「けふね、前の田部《たべ》さんの六つになるお孃ちやんと仲よしのこの坂を下りたところの子供がね、母親に連れられて前の家に遊びに來ましたのよ、そしていつものやうに、友ちやん、遊ばない、といつて門を入ると、友ちやんの姉さんが、友子はきのふから鎌倉へ避暑ですよつて、ちよつと得意な口調で言ひますと、その子供の母親は、文ちやんも明日から父ちやんと日光へ行くのです、ね文ちやん、さあ歸りませう、と言つて歸りましたの。それがほんとのことか、それとも子供のさびしい氣持を思ひやる母親のその場の出まかせか、聞いてゐてわたしをかしかつたんですよ」
 或晩、こんなことをユキから聞かされてゐるうち、突然私は、ユキのために鎌倉行を思ひ立つたのである。元來、私は旅行や散策は嫌ひのはうで、處々方々を歩きまはるといふやうな心の餘裕を憎みたく、
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