きっといい縁先を都会に見つけて、自分が親元となって縁づけるなど、いろいろの理窟をつけて還さなかったのだそうである。
 哀れな祖母よ、祖母はむろん父のこの言葉を信じなかったに相違ない。けれど、祖母は無智な田舎の百姓女である。この狡猾な都会ものの嘘八百に打勝つことがどうしても出来なかったのである。

 祖母は空しく帰って行った。父は厄介神を追っ払って安堵の胸をなでおろした事であろう。ひとり胸の苦しさを増したのは母であったに違いない。実際それからのちの私の家は始終ごたついていた。では叔母は?
 叔母とても決して晴やかな気持ちでいたわけではなかろう。叔母がときどき、二月も三月も家にいなくなったのを私は覚えている。そして、それはあとからきいたことではあるが、叔母が父を遁れてひとりこっそりと他人の家に奉公に行っていたのであった。が、そのたびに父は根気よく尋ねまわって、しまいにはとうとう探しあてて来るのであった。
 二度目に叔母がつれ戻されたとき、私たちはまた引越した。それは横浜の久保山で、五、六町奥に寺や火葬場を控えた坂の中程にあった。
 父は相変らず何もしていないようであったが、そのうちどうして金をつくって来たのかその坂を降りたとっつき[#「とっつき」に傍点]の住吉町の通りに今一軒商店向きの家を借りた。父はその家で氷屋を始めたのだった。
 氷屋の仕事は叔母の役目だった。母と子供たちは山の家に残り、父は昼間だけそこに行って帳面をつけたり商売の監督をするのだといっていた。が、それはただ初めの間だけのことで、ほどなくめったに山の家には帰って来なくなった。つまりていよく私たち母子を、父と叔母との二人の生活から追ん出してしまったのである。
 私はその時もう七つになっていた。そして七つも一月生れなのでちょうど学齢に達していた。けれど無籍者の私は学校に行くことが出来なかった。
 無籍者! この事については私はまだ何もいわなかった。だが、ここで私は一通りそれを説明しておかなければならない。
 なぜ私は無籍者であったのか。表面的の理由は母の籍がまだ父の戸籍面に入ってなかったからである。が、なぜ母の籍がそのままになっていたのか。それについてずっとのちに私が叔母からきいた事が一番本当の理由であったように思う。叔母の話したところによると、父は初めから母と生涯つれ添う気はなく、いい相手が見つかり次第母
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