をなし、なお下れば道特に悪し、本コース中第一の難路ならん、暗くなり一層困難せり。道なきを進み疲れはてて九時頃山中へ一泊せり。
[#地から1字上げ]四日(水曜日)曇
早朝起き川原に出でんと下れば途中道あり、それを進む、川の左岸のみを行きて川原に出で尾根へ取付きなどしてなかなか苦しき道なり、ようやく小日向の小屋に出で見れば道標あり、自分の下りし道の他に本道とてよき道あり、本道を通らばかかる困難はせざりしに、これよりは道よく道標ありて迷うことなく九時半飯島駅着、十時の電車にて辰野へ、中央線にて塩尻を経て名古屋へ、東海道線にて神戸へ無事五日午前一時着せり、同二時床につく。痛快言わん方なかりき。かかる大コースも神の力をかりて無事予定以上の好結果を得しはまことに幸いなり、神に感謝せり。ああ思いめぐらすものすべて感慨無量なり。
B
[#地から1字上げ]大正十五年八月十二日(木曜日)晴
午前九時千垣駅着、九時半出発、常願寺川を遡り藤橋にいたる、途中水の出たるところ多く、暑さ厳しき故水を飲むこと一升余ならむ。藤橋十一時昼食をなし、草鞋《わらじ》を買い出発、川を渡りて急峻を攀じ高原へ出でブナ小屋にて休む。弘法、追分小屋等を過ぎ地獄を見物せり。なかなか恐ろしきところなり、硫黄の臭強く、ところどころ沸騰せる温泉音を立つ、室堂へ着きたるは七時頃なり、絵葉書を買い宿泊せり、ここの人たいてい不親切なり、私の問に答えず。
[#地から1字上げ]十三日(金曜日)晴
午前六時室堂出発、食糧二日分を持ちなかなか重し、浄土山の肩へ登り荷物を置き浄土に進む。右の祠あるところに行き、後左の最高点に登る。五色ヶ原眼下にありて、小屋も見ゆ。薬師の尖峰南にあり、槍、穂高、群山を抜き乗鞍、御嶽またゆずらず。黒部谷いよいよ深く鹿島槍巍然たり。引返し急峻をよじれば、雄山の絶頂なり、草鞋を脱ぎて登る。眺望雄大北アルプス屈指の景色よきところならん。神社に拝し、引返したところに三角点あり。ここは絶頂より六メートルくらい低からん。荷物を担ぎ尾根を進みて、大汝峰にいたる。ここへ登りて万歳三唱。別山との大キレットに下り、また登りて、別山の頂上に出ず祠あり、参拝。池にて昼食、別山の絶頂東の端にいたり万歳三唱、引返し尾根を進む。眺望のよきこと言語に絶す、三角点に名刺を置き、万歳三唱。少し進みて花畑を通り道明らかならざれば偃松帯を進み三田平の西北に下りてみれば人に逢う。劒より引返したる人なり。三田平の小屋は別山の北にあり、ここより望めば明らかなり、また尾根へ取付き進む、なかなか危険なるところ多くして痛快なり、この辺穂高に劣らず、上下を繰返しつつ急峻を攀じればすなわち求むる劒岳なり、絶頂へ着きしは三時なり。眺望雄大無比、寒暖計あり、大山神劒山の柱の下に名刺を置き万歳三唱せり。この日宮殿下御二方御登山あらせられたりと拝す。それより下れば三人の人あり、白萩より来れりと言う、平蔵を下る人なり、私は長次郎の雪渓を下る。宮殿下の御足跡を拝しつつ下り、途中辷りなかなか恐ろし、ようやく平蔵の出合に出で右へ本流を下る。前面に黒部別山|蟠《わだかま》る、半時間くらいにて雪崩れたるあり、右側に道あれど詳かならず、川原を進み尾根に取付き等してなかなか渉らず、力つき暗くなりたれば河原に野宿せり、海抜五五〇〇尺くらいのところにて寒し、七時半。
[#地から1字上げ]十四日(土曜日)晴
幸いに雨に見舞われざれば、さほど困難せざりしも、なかなか寒き夜なりき。明くるほどにますます寒く顫《ふる》えながら朝食をなし、六時頃出発、尾根へ登りて進む、困難なり。河原に下りて雪渓を下り、左の谷の雪渓を遡る。それより八峰を眺めながら右の谷へと進み急傾斜を登れば谷つき森林となる。これを突破すれば雪田あり、これ池なり。ここより上の山の肩を見れば小屋あり、すなわち池ノ平の小屋なり。八時半ここを出発、池ノ平山の中腹を廻りて進む、雪渓にて道つきたれば、雪渓を下る、急峻にしてこわし、割合辷らず下りて小黒部本流に出で大雪田を下る。雪渓切れたれば、右の尾根へ道を求めて、河原に出で橋を渡り左を進み、あるいは尾根をあるいは河原をあるいは川を徒歩等困難せり、なかにも急流徒歩の折等は流されんとして命からがら岸へ飛びつき、着物等濡らす、尾根を進みまた下りて河原に出で、流れゆるきところを流されつつ下れば松高山岳部の昼食記念の書きたるあり(この辺川の出合なり)安心せり、右手に道を見、それを進む、分りよき道なり、嬉しくもう大丈夫と思い歌を唱う。黒部本流へ合する前、道は尾根を急に登れば少々不安なりしも道他になきようなれば、これを進む。尾根頂上へ登り切って左手にすぐ下る。下り切ればすなわち祖母谷《ばばだに》温泉にいたる広き道なり。ここへ出でたるときの嬉しさ例
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