、半時間くらい遅れてしまった。海抜三〇二五メートル九の農鳥岳絶頂に着いたのは午後二時であった。引返して間ノ岳へ取付く頃、東京高工山岳部の学生二人案内一人に会って、海抜三一八九メートル三の間ノ岳絶頂に帰ったのは午後四時前、少し休み早大生等と別れて北岳に向う。途中ヒヨコ三羽を連れた雷鳥を追い廻し写真一枚撮った。海抜三一九二メートル四の日本アルプス最高峰北岳の絶頂へ着いたのは午後六時三十五分であった、眺望雄大なことは無類であるが、だいたいに南アルプスは雪が少ないのは残念である。白峯三山とここで別れて淋しいが下らねばならぬ、白峯御池らしく見えた残雪へ向ってお花畑を一気に下ってみると、これは池ではない。なお下ればまた残雪があるが、これも御池ではないようだ、疲れ果ててここへ露営することにしたときは午後八時過ぎである。
 十七日、最後の日となってしまった。どうしても今日中に駅へ出ねばならぬと思うと忙しい。天気はとてもいい、午前四時半露営地を出発し、山の中腹を巻いて進むと道があった。これを一気に下れば白峯御池だ。残雪に蔽われているが、下の方は冷たい水が出ている。うまい、これからは道を迷うことはない、森林の中を一気に下って広河原小屋へ着いたのは午前七時頃で、朝飯を食い、残りの食糧を小屋へ寄附し川を徒歩して、先輩に教えて頂いた如く川を下れど道がわからぬため引返し、地図に書いて頂いた谷を登ればいつか道に出るであろうと思ってこれを登って行った。そしてやっと一〇〇〇メートル以上も川より登り頂上附近の尾根へ出たが、ここでもどうしても道がわからなかった。ここで九州大学医学部の学生に逢って道を聞けば、川を渡って川を上り十町くらいまで行って谷を登るとのことであった。幸いに私は山中をかく一〇〇〇メートル余も迷って充分山へ自信を持つことができ有難いと思っている。これより高嶺に登ったときは午後十二時三十分で賽ノ河原へきて石仏会の名簿に名前を書き、時間があったら地図の観音岳へ往復する予定であったが、遅いので止むを得ず下山することにした。途中小屋に立ちより五色滝を過ぎ、青木湯に向って一気に下る途中二、三の登山者に出会った。その後ちょっと砂防道に迷ったが、無事青木湯へ着いたのは午後五時であった。一浴して六時にここを出発し、鳥居峠に登り一気に発電所のあるところへ下り、河原をドンドン進んで八時三十分、やっと祖母石村
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