っていたため右から入ってくる大きな谷へ迷い、三角点一一五九へ登ってしまった。しかしそのまま大川の谷を横断して沖ノ山の頂上へ登った。頂上より一つ西の峰には展望台があって麓からの里程などが書いてあった。雪が止んで附近の地形がよくわかるので氷昌山へはすぐ下れた。氷昌山には家がたった三軒しかなく、下の村から今日やっと上ってきたところらしく屋根の雪下しを夢中でしていた。氷昌山からはミソギ峠の南側へ登り真白い高原を南へ辿って大海――道仙寺と歩いた。道仙寺の頂上では夜になっていたので瀬戸内海沿岸の燈台の火の明滅しているのが見え、さながら夢の国をさ迷っているような気がした。頂上からは真北に出た尾根を下り、一二〇〇メートルくらいから右の谷へ入ったが、この谷はあまりよくなかった。広い林道に出てからも滝があり、その真上で転倒して肝を冷したりした。西河内は七年以前同じ山から下ってきて泊ったことのある思い出の深い村である。翌日河内を経てショー台に登る。ショー台の南面はスキー場になっていた。頂上からは西の尾根を下り、大通峠を経て三角点一二四四へ登った。ここからは北へ向った尾根を辿り、天狗岩の頂上を極め、なお北へ進んで一一八〇メートル附近から初めて西へ下った尾根へ入ったが、物凄い藪なので右の谷へ逃げた。しかしこの谷もあまりよくなかった。九五〇メートルくらいまで下ってから左へ巻いて元の尾根へ出てみるともう真白な斜面だった。ここは吉川のスキー場なのだろう。シュプールがたくさん残っている。吉川へ下って若桜まで歩いたが、終列車の出た後なのでそのまま春米へ行った。翌日ワサビ谷を登ってみたが、長くて閉口した。二ノ丸から氷ノ山の頂上へのつづきは妙に痩せていて、吹雪だったのでちょっとわからなかった。頂上を越してコシキ岩まで下ったが、二ノ丸、三ノ丸、とつづいた西尾根を下ってみたくなったので引返した。しかし二ノ丸を越して一三四〇メートルにきたとき本尾根が急に下っているのでつい左のゆるい尾根を伝い落折へ下ってしまった。これから若桜へ下ってもまた終列車に間にあいそうにないのであきらめて泊った。翌日戸倉峠から赤谷山へ登った。
 父は二、三日といって出かけた私が四、五日もたつのに帰ってこないし、だいぶ吹雪いたので、あるいは遭難したのではないかとの疑念を起し、私の兄と友人に捜索を頼んだ。二人は若桜に行き、駅長に話し、役場など
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