、茶瓶からコップへなみなみとつがれたお酒をお茶だと思ってぐっと飲んで、しまったと思ったが仕方がない。そのままお礼をいってお別れをし、ほんとに明るい気持で富士を下りて行った。
[#地から1字上げ](一九三三・一一)
[#改ページ]
山に迷う
今年の二月、ずっと以前からあこがれていた近江の金糞ヶ岳へ登ろうと思って、伊吹山の西麓をまき伊吹や東草野の村を伝って歩きました。今年は近年にない大雪が降ったので附近には雪が三、四尺も積ってます。そんなにたくさんの雪が積っているのに、村を出るとその深い雪を掘り上げて綺麗に道があけてある。不思議におもってそれをよく注意していると、その道が小学校のあるところまで蜒々と数里もつづいていることがわかりました。子を思う親心はどこでも同じことなのでしょうが、かほどまでに強いものかと私はしみじみ身にしむのを感じました。その晩夜通し歩いてやっと朝がたに甲津原に着きましたが、不運にも天候は崩れて山は濃い霧がかかってしまいました。
甲津原には三つの大きな谷が落合っております。地図によると東側の谷は美濃の貝月山へ登る谷で、金糞ヶ岳へは真ん中の谷を上って、三角点一〇七四の北側を越し向う側の広瀬浅又の谷から登るのが一番よいように思われます。しかし実際はこの谷は西側の谷よりずっと悪く、かつ一〇七四メートルの北側は尾根も谷も地図以上に痩せている上、傾斜も急でスキー・ルートとしてはよくありませんでした。
その日一〇七四メートルには登りましたが、濃霧のため迷って、金糞へは行けませんでした。で、つぎの日曜にはぜひ登ろうと決心し、スキーはそのまま甲津原に置いて帰ってきました。そして日曜のくるのを待っておったのです。ところが土曜日になって、故郷の父が最近急に悪くなったそうだからすぐ見舞いに帰ってみないかといって姉がわざわざやってきた。そして「山」に迷っている私をさんざん責め立てたのです。けれどその頃の私はそれくらいの忠告で気のつくような浅い迷い方ではなかったので、その晩はまた子を思う親心に泣きながら甲津原への道を辷っていました。翌日はすばらしいよいお天気で、甲津原から西側の谷を上り切り、尾根伝いに金糞ヶ岳へ登頂することができました。頂上からは三角点一二七一や一〇五七を縦走して道の記入してある尾根を下り高山へ出ました。
つぎの日、私は会社へ「父が大変悪いそうですか
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