ってくる。この小谷はどれも常念乗越附近から出ている。本谷のどんづまりと思われるところから上は四つの支谷に分れている。第一回は十月十六日に夏道を、第二回は五月二十七日に谷のどんづまりから一番右の大きな谷を登って横通岳頂上附近へ、第三回は三月三十一日に常念沢出合を過ぎてから入ってくる二番目の谷を、第四回はこの十一月三十日で同じく最初に入ってくる谷を登ったがともに乗越附近へ出た。以上四回とも霧の深い日であったため、地形図の間違っていることだけを知ったのみで正確な谷の位置をつきとめていない。あるいは第三回目に登った谷が常念乗越沢であるかも知れない。しかしこの谷も第四回目に登った谷もともに大変幅が狭く、かつ急傾斜なのでスキーを履いて登るのは非常に困難である。殊に冬期にあっては、降雪中は雪はやわらかいが雪崩の危険があり、その他の場合は表面がウインド・クラストに変化した板状雪になっているので、ワカンで登るより仕方がない。こんどの状態は後者で、ワカンを履いてなお腰近くまでもぐった。それで最初荷物を置いたまま、から身で道をつけ、のちスキーと荷物は二回に分けて運ばねばならず、大変苦しい登りであった。この谷を登ると岳樺《だけかんば》のまばらに生えた広い尾根に出ることができた。ここまでくると雪が降り出して吹雪模様になってきたので、毛皮を着込んだり、コッヘルで甘納豆をたいてカロリーをとったりして戦の準備をした。しかしこの尾根は風がよく当るので雪が締っていてアイゼンで楽に登れた。それを登り切ると常念乗越で雪庇等もなく風のために雪も殆んど吹き飛ばされたガラガラ道が常念の小屋までつづいている。小屋は常念岳に面した方の戸が完全に出ていて難なく入れた。雪の多い三月ごろなら一ノ俣に面した西側の窓から入る方が楽であるとのことだ。小屋はなかなか立派で特別室等雪の入っていないところが多く、寝具の設備もある。
 翌日は霧が深い上、非常に強い風が吹きまくっていてとてもスキーをかついでは歩かれないので、まず常念へ、から身で登る。常念は雪が殆んど吹き飛ばされてガラガラで夏と同様の時間で登れる。前常念とのジャンクションから頂上までは本沢へ向って相当大きな雪庇がつづいていた。当にしていた真正面の槍・穂高の勇姿には接することができなかった。小屋へ帰った頃には天候がだいぶ良くなり、青空が見え出したので、槍へ行こうか、上高地へ
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