二・〇〇
一月七日 快晴 烏帽子の小屋一〇・三〇 三角点三・〇〇 東信電力社宅一一・〇〇 積雪一尺
一月八日 雪 社宅一〇・〇〇 葛ノ湯一二・〇〇 大町二・三〇
[#ここで字下げ終わり]
飛越線終点、猪谷《いのたに》から土までは長い道ではないが、あの両側の山から物凄い雪崩が落ちてくるのではなかろうかと心配した。しかし、今年はとても雪が少なく、自動車も走っているほどで、雪崩は跡かたもなかった。土から大多和までは緩い登りだが、睡眠不足がこたえて、意外に時間がかかった。朝から雪が降っていたが、大多和に着いた頃は雲が少しずつ切れていった。有峯《ありみね》まで行きたかったが、悪いところがあると聞いていたので、一番上の古田という家に泊めてもらうことにした。そして峠への道を偵察に十町ほど登って行ったが、崩れたところがあってスキーを脱がねばならぬと思ったのでそこから引返した。そして家の裏で下手なスキーを楽しんだ。
三十一日は午後から快晴になった。古田氏が、例の崩れた所へ道をつけてやると言うので、一緒に行ってもらう。スコップで雪を落して道をつけてもらい、アイゼンを履いてスキーと荷物を二度にはこんだ。無事に悪場を過ぎてから、対岸で見ていた古田氏に御礼を言って別れた。それからは地図と同様平凡な道であった。しかし、水も無いような川を渡るのに、何度もスキーを脱いだりして時間がかかった。大多和峠から見た薬師岳は、とてもすばらしい姿だった。峠の下りは上の方は辷ったが下の方は傾斜が緩く、かつ晴天になったため、あまり辷らなかった。西谷の流れは地図に書いてある上流の方の橋を渡った。これは大きな橋で今後も落ちることはないと思う。東谷はだいぶ深いように聞いていたので、防水のズボンをはき、防水のノールウェ・バンドをかたく締めて行ったが、雪の少ないためか、あるいは寒さのためか、深さは五寸くらいしかなく、川端も一間くらいで、徒歩は簡単だった。真川峠(一八〇二メートル)の登り口は雪が少ないので、道がよくわかった。この尾根は地図と同様、スキー滑降に理想的な傾斜で、藪も少なく素敵だと思った。尾根も一本で、迷うことなく頂上に着いた。頂上は広い、のんびりした雪原だった。頂上から右へちょっと巻くように下らねばならぬのを、まっすぐ下ってみると小屋がわからず、ちょっと驚いた。この下りはスキーが下手なので、輪カンジキで下る予
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