手に入らない。高臺に疵があるばかりに小庵の什器に加はつてゐる。茶わんの形、強火に堪えたうねり、古さびた白、澁いしみ、古萩の良さを多量に具へてゐるが、さて高臺に疵あり、金十數圓にて手もなく藏什となる。茶をたゝえずとも、手に觸れ、目に見るだけでも千金に替へ難い値打がある。茶を酌んだとて漏るわけでなく、高臺の割れたのがいけないといふ。なんと有難い疵であるかよ。
 安南茶わん。正眞正銘の安南燒があつた――だが、疵があるために殘念ながら見たゞけで買つて來なかつたと或る道具商がいふ。代若干なりや。答へて曰く銘仙一ぴきの代のみ。それでは取寄せてもらひたいといつたのが大變な茶わん。若しニユウの大疵なかりせば何々庵茶會の會記に書きのぼせらるゝ名品であらうが――有難いことにはニユウがあつて私の什になつた。
 等々々、こんなことを書けば其の餘りに殘念物の多さに驚くと共に、是等殘念物の御蔭で身邊多祥であることを感謝したいのだ。
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   先づ得よ

 やきものを知るには何から始むればよいかと人に聞かれる。
 それは何からでもよい、徳利を集めてもよい、徳利は一時暴騰したことがあるが現在では極めて安い、一時の一割にも値しない。さればといつて徳利の價値が下つたわけではない。油皿でも石皿でもさうである。流行する時は物が少ないから需給の關係から高くなるけれども、人より先か、人より後からならば、安價に且つゆつくり樂める。
 徳利の形のおもしろさは説くまでもあるまい。燒物をみる上に必要な條件を殆んど供へてゐる。茶の湯に使はるゝ徳利は千金の値を唱ふけれども、茶の湯の寸法を外れた大ぷりな徳利になれば御小使錢で樂んで求めることが出來る。
 朝鮮の各種の徳利、北九州の徳利、――二川、上野《あがの》、黒牟田、百間窯等々。備前などもあるが丹波になると立杭からいろ/\な徳利が出てゐる、瀬戸附近は無論のこと、東北地方も隨分あつて、人の知らぬ仙臺の田舍まで出來てゐる。徳利の形も千差萬別、裝飾からみても繪高麗風のもの、刷毛目、筋入り、織部、赤繪等々枚擧に遑がないといふのは此のことで、徳利に憂き身をやつしても一生暮せることは請合だ。
 石皿、油皿、油壺、斯ういふものは隨分集められたが、この外普通の小皿類の如き向附の離れ物の如き、水滴、水注、片口、鉢類、日常雜器のものに手をつけてゆけば絶えず研究が出來、且つ安價で、樂
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