荒れた肌よりも、何百年と人に愛玩されて、人間とあたゝかい交渉をもつた肌の方が潤ひがあり美くしさがあるであらう。――が、破片と雖も、又顧みられない店頭の半圓乃至四分の一圓の品と雖も馬鹿にすべきでないことを云ひたい。
 古さ――これはどれでも古いことは同じで、古さのもつ良さは金の高で見つもることは出來ない。何故かなれば矢張この時代が生んだ工藝品だからで、今日の時代が逆さまになるとも生むことの出來ない良さ古さをもつてゐるのである。この古さを賞し得ることも亦われらに與へられた樂しみの一つで、時代を知り器物の形のよさ、釉のよさを知つたならば、古さも同時に分つて高い代償を拂はずに一夕カフエーの資を以て購ふことが出來、清淨なる快樂を享受することが出來るのである。
 以上いつたことは銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、34−9]のない以前の古い時代であり、又銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、34−9]が初まつて以來の臺所用雜器に就てもいふことが出來る。農家の具に作られた種子壺が見出されて、今日千金の價をもつこともあるが、さういふ萬一を僥倖しないでも、農家の具、漁家の具の中に、案外古さも良さもあるおもしろいものを發見することがあり、又僻村の店頭に案外の古さをもつ器物を拾ふことも出來るのである。
【銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、35−欄外]】
 次ぎにいひたいことは銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、35−6]である。銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、35−6]は器の底部に又は胴に、又は箱に入れて個人作家のサインとして昔から尊ばれてゐる。この銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、35−8]は贋物が多く、有名な作家であればあるほど怪しげなものが多い。たゞ作家の銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗字、35−9]のみに惚れてゐると、飛んでもない古さも良さもないものを掴んでしまふことがある。だから銘※[#「※」は「「疑」のへんの部分+欠」、第3水準1−86−31、「款」の俗
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