の立場になると、美人を彫刻するのも、勞働者を彫刻するのも、其苦心に於いては、毫も差別のあるべき筈はない。
 然し若し、所謂輪廓上の釣合が好い美人のモデルとしては、日本人と西洋人の何方が適當して居るかと問ふものがあつたら、それは何うしても西洋人を推さなければなるまい。勿論、耳目鼻口宜しきを得、骨格に於ても一點非難するところがないからとて、直ちに美人として受け取れぬものもある。又それと反して何んだか不釣合で、一ツ/\としては一向完全ではないが、然し總體に於ては、何んとなしに美しく見えるものもあるから、一概に西洋人の釣合が好い所以を以て、モデルとして適當だとはいへぬが、概していへば、日本人よりは恰好の好いことは爭はれない。之れは日本人は婦女子となれば、これまで成るべくは外に出でないで、内に居つても、始終膝を折つて足を多く使はないやうに仕向けられたものだから、脚の方は發達して居らんが、割合に胴の方が長い。それで何うも立つたところを見ても無恰好で、工合が惡るい。顏の輪廓なども、西洋人の方は、多年の經驗が旨く表情的になつて、曲線も端麗に出來てるが、日本人は之れと反對に、昔から成るべくは喜怒哀樂を外に出さないといふやうな、女大學流の教育を受けて來たものだから、自然に表情も鈍ぶくて、一般に顏がのつぺりとして締りがない。いくら贔屓目でも、恰好とか容貌とかいふ意味に於ては、あまり好いモデルはないであらう。



底本:「日本の名随筆40 顏」作品社
   1986(昭和61)年2月25日第1刷発行
   1989(平成元)年10月31日第7刷発行
底本の親本:「彫刻真髄(新装版)」中央公論美術出版
   1978(昭和53)年5月
※「遣つた」の「遣」、「十分に」の「に」、「外に出で」の「で」には、底本では、原稿不鮮明のため、読みとりに確信が持てないとの注記が入っています。
※「斯かる美人」の「か」、「受取りかねる」の「り」、「美に富んで」の「に」を、底本は「〔 〕」で囲んで示しています。
入力:渡邉 つよし
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
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