べたものがその一である。自嘲めくとは雖もやはりその裏に悟の心境を誇示してゐる事は勿論である。もう一つは死の世界に入つて行く態度を示したものである。地獄も天堂も総《そう》に踏み破り去らんといふやうな調子のものである。
右からみるとずつと離れて、全く凡夫の心に立帰つて遺偈を示した僧もある。近世では釈宗演氏なぞがそうである。『死に度く無い/\』といつて死んで行く臨終の仕方である。これも幾多の前例はあるが可成り洒脱のものとみられて居る。
桃水和尚は凡夫に如同する事に於て可成り垢抜《あかぬ》けしたところまで行つたがそれでも臨終に鷹峯風清月白とか何とかいふ遺偈を遺し片鱗を露してる。
遺言といふとすぐ芭蕉が門下に遺言の句を訊かれて平常の句みな遺言の句にあらざるなしといつたのを思ひ出すが前掲数項の遺言の仕方やこの詩人の遺言に対する態度やはあまり立優り過ぎ模範的過ぎてわれ等にはピッタリ来ない。
死に際には病苦や人生に対する愛惜の念やでわれ等凡人はとんだ考になつたり逆に反抗的に気取つて見たりしてとても本当の事は述べられまいと思ふ。よつて平常死後の事は洗ひざらゐ喋つてしまつて置く方がよいと思
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