いう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは実に偉いものであった。露地を通り過ぎる時に起こすべき感情の性質は茶人によっていろいろ違っていた。利休のような人たちは全くの静寂を目的とし、露地を作るの奥意は次の古歌の中にこもっていると主張した(二八)。
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見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ(二九)
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その他|小堀遠州《こぼりえんしゅう》のような人々はまた別の効果を求めた。遠州は庭径の着想は次の句の中にあると言った。
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夕月夜《ゆうづくよ》海すこしある木《こ》の間《ま》かな(三〇)
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彼の意味を推測するのは難くない。彼は、影のような過去の夢の中になおさまよいながらも、やわらかい霊光の無我の境地に浸って、渺茫《びょうぼう》たるかなたに横たわる自由をあこがれる新たに目ざめた心境をおこそうと思った。
こういう心持ちで客は黙々としてその聖堂に近づいて行く。そしてもし武士ならばその剣を軒下の刀架《とうか》にかけておく、茶室は至極平和の家であるから。それから客は低くかがんで、高さ三尺ぐらいの狭い入り口〔にじり口〕からにじってはいる。この動作は、身|貴《たっと》きも卑しきも同様にすべての客に負わされる義務であって、人に謙譲を教え込むためのものであった。席次は待合で休んでいる間に定まっているので、客は一人ずつ静かにはいってその席につき、まず床の間の絵または生花に敬意を表する。主人は、客が皆着席して部屋《へや》が静まりきり、茶釜《ちゃがま》にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破るものもないようになって、始めてはいってくる。茶釜は美しい音をたてて鳴る。特殊のメロディーを出すように茶釜の底に鉄片が並べてあるから。これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか岩に砕くる遠海の音か竹林を払う雨風か、それともどこか遠き丘の上の松籟《しょうらい》かとも思われる。
日中でも室内の光線は和らげられている。傾斜した屋根のある低いひさしは日光を少ししか入れないから。天井から床に至るまですべての物が落ち着いた色合いである。客みずからも注意して目立たぬ着物を選んでいる。古めかしい和らかさがすべての物に行き渡っている。ただ清浄|無垢《むく》な白い新しい茶筅《ちゃせん》と麻ふきんが著しい対比をなしているのを除いては、新しく得られたらしい物はすべて厳禁せられている。茶室や茶道具がいかに色あせて見えてもすべての物が全く清潔である。部屋《へや》の最も暗いすみにさえ塵《ちり》一本も見られない。もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗うことに関する知識である、払い清めるには術を要するから。金属細工はオランダの主婦のように無遠慮にやっきとなってはたいてはならない。花瓶《かびん》からしたたる水はぬぐい去るを要しない、それは露を連想させ、涼味を覚えさせるから。
これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。利休はその子|紹安《じょうあん》が露地を掃除《そうじ》し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠《いしどうろう》や庭木にはよく水をまき蘚苔《こけ》は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦《にしき》を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
「好き家」という名はある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。茶室は茶人のために作ったものであって茶人は茶室のためのものではない。それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。人は各自独立の家を持つべきであるという考えは日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。この習慣はたぶんあるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。また別に昔の習慣として新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。伊勢《いせ》の大廟《たいびょう》を二十年ごとに再築するのは古《いにしえ》の儀式の今日なお行なわれている一例である。こういう習慣を守るのは組み立て取りこわしの容易なわが国の木造建築のようなある建築様式においてのみ可能であった。煉瓦《れんが》石材を用いるやや永続的な様式は移動できないようにしたであろう、奈良朝《ならちょう》以後シナの鞏固《きょうこ》な重々しい木造建築を採用するに及んで実際移動不可能になったように。
しかしながら十五世紀禅の個性主義が勢力を得るにつれて、その古い考えは茶室に連関して考えられ、これにある深い意味がしみこんで来た。禅は仏教の有為転変《ういてんぺん》の説と精神が物質を支配すべきであるというその要求によって家をば身を入れるただ仮りの宿と認めた。その身とてもただ荒野にたてた仮りの小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ――この草の結びが解ける時はまたもとの野原に立ちかえる。茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽《かろ》やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着《むとんじゃく》らしいところにも世の無常が感ぜられる。常住は、ただこの単純な四囲の事物の中に宿されていて風流の微光で物を美化する精神に存している。
茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。芸術が充分に味わわれるためにはその同時代の生活に合っていなければならぬ。それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。また過去の創作物を無視せよというのではなくて、それをわれらの自覚の中に同化せよというのである。伝統や型式に屈従することは、建築に個性の表われるのを妨げるものである。現在日本に見るような洋式建築の無分別な模倣を見てはただ涙を注ぐほかはない。われわれは不思議に思う、最も進歩的な西洋諸国の間に何ゆえに建築がかくも斬新《ざんしん》を欠いているのか、かくも古くさい様式の反復に満ちているのかと。たぶん今芸術の民本主義の時代を経過しつつ、一方にある君主らしい支配者が出現して新たな王朝をおこすのを待っているのであろう。願わくは古人を憬慕《けいぼ》することはいっそうせつに、かれらに模倣することはますます少なからんことを! ギリシャ国民の偉大であったのは決して古物に求めなかったからであると伝えられている。
「空《す》き家」という言葉は道教の万物|包涵《ほうかん》の説を伝えるほかに、装飾精神の変化を絶えず必要とする考えを含んでいる。茶室はただ暫時美的感情を満足さすためにおかれる物を除いては、全く空虚である。何か特殊な美術品を臨時に持ち込む、そしてその他の物はすべて主調の美しさを増すように選択配合せられるのである。人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによってのみできるのであるから。かくのごとくわが茶室の装飾法は、現今西洋に行なわれている装飾法、すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているような装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのになれている日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品《こっとうひん》のおびただしい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。一個の傑作品でも絶えずながめて楽しむには多大の鑑賞力を要する。してみれば欧米の家庭にしばしば見るような色彩形状の混沌《こんとん》たる間に毎日毎日生きている人たちの風雅な心はさぞかし際限もなく深いものであろう。
「数寄屋」はわが装飾法の他の方面を連想させる。日本の美術品が均斉を欠いていることは西洋批評家のしばしば述べたところである。これもまた禅を通じて道教の理想の現われた結果である。儒教の根深い両元主義も、北方仏教の三尊崇拝も、決して均斉の表現に反対したものではなかった。実際、もしシナ古代の青銅器具または唐代および奈良《なら》時代の宗教的美術品を研究してみれば均斉を得るために不断の努力をしたことが認められるであろう。わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表わすのみならず重複を表わすものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。このゆえに人物よりも山水花鳥を画題として好んで用いるようになった。人物は見る人みずからの姿として現われているのであるから。実際われわれは往々あまりに自己をあらわし過ぎて困る、そしてわれわれは虚栄心があるにもかかわらず自愛さえも単調になりがちである。茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ。生花があれば草花の絵は許されぬ。丸い釜《かま》を用いれば水さしは角張っていなければならぬ。黒釉薬《くろうわぐすり》の茶わんは黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ。香炉や花瓶《かびん》を床の間にすえるにも、その場所を二等分してはならないから、ちょうどそのまん中に置かぬよう注意せねばならぬ。少しでも室内の単調の気味を破るために、床の間の柱は他の柱とは異なった材木を用いねばならぬ。
この点においてもまた日本の室内装飾法は西洋の壁炉やその他の場所に物が均等に並べてある装飾法と異なっている。西洋の家ではわれわれから見れば無用の重複と思われるものにしばしば出くわすことがある。背後からその人の全身像がじっとこちらを見ている人と対談するのはつらいことである。肖像の人か、語っている人か、いずれが真のその人であろうかといぶかり、その一方はにせ物に違いないという妙な確信をいだいてくる。お祝いの饗宴《きょうえん》に連なりながら食堂の壁に描かれたたくさんのものをつくづくながめて、ひそかに消化の傷害をおこしたことは幾度も幾度もある。何ゆえにこのような遊猟の獲物を描いたものや魚類|果物《くだもの》の丹精《たんせい》こめた彫刻をおくのであるか。何ゆえに家伝の金銀食器を取り出して、かつてそれを用いて食事をし今はなき人を思い出させるのであるか。
茶室は簡素にして俗を離れているから真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である。ただ茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる。十六世紀日本の改造統一にあずかった政治家やたけき武士《もののふ》にとって茶室はありがたい休養所となった。十七世紀徳川治世のきびしい儀式固守主義の発達した後は、茶室は芸術的精神と自由に交通する唯一の機会を与えてくれた。偉大なる芸術品の前には大名も武士も平民も差別はなかった。今日は工業主義のために真に風流を楽しむことは世界至るところますます困難になって行く。われわれは今までよりもいっそう茶室を必要とするのではなかろうか。
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