なる。それは詩趣を宿すための仮りの住み家であるからには「好き家」である。さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく物のほかは、いっさいの装飾を欠くからには「空《す》き家」である。それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である。茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部はその装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。
 始めて独立した茶室を建てたのは千宗易《せんのそうえき》、すなわち後に利休《りきゅう》という名で普通に知られている大宗匠で、彼は十六世紀|太閤秀吉《たいこうひでよし》の愛顧をこうむり、茶の湯の儀式を定めてこれを完成の域に達せしめた。茶室の広さはその以前に十五世紀の有名な宗匠|紹鴎《じょうおう》によって定められていた。初期の茶室はただ普通の客間の一部分を茶の会のために屏風《びょうぶ》で仕切ったものであった。その仕切った部分は「かこい」と呼ばれた。その名は、家の中に作られていて独立した建物ではない茶室へ今もなお用いられている。数寄屋
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