に借りている。柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。
生の術をきわめた人は、道教徒の言うところの「士」であった。士は生まれると夢の国に入る、ただ死に当たって現実にめざめようとするように。おのが身を世に知れず隠さんために、みずからの聡明《そうめい》の光を和らげ、「予《よ》として冬、川を渉《わた》るがごとく、猶《ゆう》として四隣をおそるるがごとく、儼《げん》としてそれ客のごとく、渙《かん》として冰《こおり》のまさに釈《と》けんとするがごとく、敦《とん》としてそれ樸《ぼく》のごとく、曠《こう》としてそれ谷のごとく、渾《こん》としてそれ濁るがごとし(二二)。」士にとって人生の三宝は、慈、倹、および「あえて天下の先とならず
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