この新聞を、お茶のしたくの一部分として、時間を守って出すようにお命じになることを、せつにお勧めいたします。」サミュエル・ジョンソンはみずからの人物を描いて次のように言っている。「因業《いんごう》な恥知らずのお茶飲みで、二十年間も食事を薄くするにただこの魔力ある植物の振り出しをもってした。そして茶をもって夕べを楽しみ、茶をもって真夜中を慰め、茶をもって晨《あした》を迎えた。」
ほんとうの茶人チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって偶然にこれが現われることが何よりの愉快である。」というところに茶道の真髄を伝えている。というわけは、茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。すべて真に茶を解する人はこの意味において茶人と言ってもよかろう。たとえばサッカレー、それからシェイクスピアはもちろん、文芸|廃頽期《はいたいき》の詩人もまた、(と言っても、いずれの時か廃頽期でなかろう)物質主義に対する反抗のあまりいくらか茶道の
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