らしい勢いで広まって行った。十八世紀前半におけるロンドンのコーヒー店は、実際喫茶店となり、アディソンやスティールのような文士のつどうところとなり、茶を喫しながらかれらは退屈しのぎをしたものである。この飲料はまもなく生活の必要品――課税品――となった。これに関連して、現代の歴史において茶がいかに主要な役を務めているかを思い出す。アメリカ植民地は圧迫を甘んじて受けていたが、ついに、茶の重税に堪えかねて人間の忍耐力も尽きてしまった。アメリカの独立は、ボストン港に茶箱を投じたことに始まる。
 茶の味には微妙な魅力があって、人はこれに引きつけられないわけにはゆかない、またこれを理想化するようになる。西洋の茶人たちは、茶のかおりとかれらの思想の芳香を混ずるに鈍ではなかった。茶には酒のような傲慢《ごうまん》なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。一七一一年にすでにスペクテイター紙に次のように言っている。「それゆえに私は、この私の考えを、毎朝、茶とバタつきパンに一時間を取っておかれるような、すべての立派な御家庭へ特にお勧めしたいと思います。そして、どうぞこの新聞を、お茶のしたくの一部分として、時間を守って出すようにお命じになることを、せつにお勧めいたします。」サミュエル・ジョンソンはみずからの人物を描いて次のように言っている。「因業《いんごう》な恥知らずのお茶飲みで、二十年間も食事を薄くするにただこの魔力ある植物の振り出しをもってした。そして茶をもって夕べを楽しみ、茶をもって真夜中を慰め、茶をもって晨《あした》を迎えた。」
 ほんとうの茶人チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって偶然にこれが現われることが何よりの愉快である。」というところに茶道の真髄を伝えている。というわけは、茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。すべて真に茶を解する人はこの意味において茶人と言ってもよかろう。たとえばサッカレー、それからシェイクスピアはもちろん、文芸|廃頽期《はいたいき》の詩人もまた、(と言っても、いずれの時か廃頽期でなかろう)物質主義に対する反抗のあまりいくらか茶道の思想を受け入れた。たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯《しんし》に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう。
 道教徒はいう、「無始」の始めにおいて「心」と「物」が決死の争闘をした。ついに大日輪|黄帝《こうてい》は闇《やみ》と地の邪神|祝融《しゅくゆう》に打ち勝った。その巨人は死苦のあまり頭を天涯《てんがい》に打ちつけ、硬玉の青天を粉砕した。星はその場所を失い、月は夜の寂寞《せきばく》たる天空をあてもなくさまようた。失望のあまり黄帝は、遠く広く天の修理者を求めた。捜し求めたかいはあって東方の海から女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》という女皇、角《つの》をいただき竜尾《りゅうび》をそなえ、火の甲冑《かっちゅう》をまとって燦然《さんぜん》たる姿で現われた。その神は不思議な大釜《おおがま》に五色の虹《にじ》を焼き出し、シナの天を建て直した。しかしながら、また女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]は蒼天《そうてん》にある二個の小隙《しょうげき》を埋めることを忘れたと言われている。かくのごとくして愛の二元論が始まった。すなわち二個の霊は空間を流転してとどまることを知らず、ついに合して始めて完全な宇宙をなす。人はおのおの希望と平和の天空を新たに建て直さなければならぬ。
 現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大《ばくだい》な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇《やみ》に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二|竜《りゅう》のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》を必要とする。われわれは大権化《だいごんげ》の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟《しょうらい》はわが茶釜《ちゃがま》に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
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     第二章 茶の諸流

 茶は芸術品であるから、その最もけだかい味を出すには名人を要する。茶にもいろいろある、絵画に傑作と駄作《ださく》と――概して後者――があると同様に。と言
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