テン民族がチュートン民族とこれを異にすると同様である。古代交通が今日よりもなおいっそう困難であった時代、特に封建時代においては思想上のこの差異はことに著しいものであった。一方の美術、詩歌の表わす気分は他方のものと全く異なったものである。老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者|屈原《くつげん》の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く相容《あいい》れない一種の理想主義である。老子は西暦紀元前四世紀の人である。
 道教思想の萌芽《ほうが》は老※[#「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2−85−11]《ろうたん》出現の遠い以前に見られる。シナ古代の記録、特に易経《えききょう》は老子の思想の先駆をなしている。しかし紀元前十二世紀、周朝《しゅうちょう》の確立とともに古代シナ文化は隆盛その極に達し、法律慣習が大いに重んぜられたために、個人的思想の発達は長い間阻止せられていた。周崩解して無数の独立国起こるにおよび、始めて自由思想がはなやかに咲き誇ることができた。老子|荘子《そうじ》は共に南方人で新派の大主唱者であった。一方孔子はその多くの門弟とともに古来の伝統を保守せんと志したものである。道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。この逆も同じである。
 道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒《ばとう》した。というのは彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原《くつげん》いわく「聖人はよく世とともに推移す。」われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして行儀正しくせよと教えられる。われらは恐ろしく自己意識が強いから不道徳を行なう。おのれ自身が悪いと知っているから人を決して許さない。他人に真実を語ることを恐れているから良心をはぐくみ、おのれに真実を語るを恐れてうぬぼれを避難所にする。世の中そのものがばかばかしいのにだれがよくまじめでいられよう! といい、物々交換の精神は至
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