ね/″\の災難也。われ針を以て一々之をつぶしけるが、それも幸にして一夜にして癒えたりき。
三 鯛の浦
いよ/\房州を引揚ぐるに際し、他は船にて都にかへし、醉夢と余と長男の三人は、安房の東海岸より上總へかけて廻り路して歸らむとて、北條より馬車に乘り、鴨川、天津を經て、小湊に達し、先づ誕生寺に詣づ。伽藍堂々、山に據り、海に俯す。小湊は實に日蓮誕生の聖地也。この地、更に鯛の浦の奇觀あり。舟を雇ふ。浪高し。大丈夫かと問へば、舟子笑つて曰く、大丈夫なればこそ舟を出す也。數日前までは、凡そ一週間に亙りて、舟を出さざりき。海に千年の我等、舟が覆へりても命に別條は無けれど、客の身が大事也。死んでもかまはぬから舟を出せといふ客もありたるが、その客は、自業自得、死んでもかまはざるかも知れざるが、名所に傷が付きて、我等の商賣がばつたり。客が何と云はうが、彼と云はうが、如何ばかりの黄金をふりまかうが、舟を出すべからざる時には、出し申さずと、子供扱ひにせられて、覺えず頭を掻く。
舟子三人にて、やつと漕ぐ。浪のうねり大にして、舟は木葉の漂ふが如し。危礁亂立、怒濤澎湃の間、舟底を叩き、鰺數尾を投ずれば、出たりや出たり、數尺の大鯛、群りあひて溌溂として食を爭ふ。中には幾んど全身を波上に露はせるもあり。長男素早く寫眞にとりたるは好かりしが、後、陸上にて革嚢をおとして、種板を打碎きしは、いづれ波の縁を免れざりしにや。
四 山上の病氣
天津まで引返して、清澄山に上る。頂上の見ゆる頃は、既に夜也。谷の彼方、半空へかけて、翼を張れるが如き峰黒く、燈火燦爛として亂點す。仙宮に上りたらむ心地したりき。參詣は明日にして、門前の旅店に投ず。明治二十三年、曾て此處に宿せしことあり。當時の宿泊料の受取書の余の手許に殘れるものを見るに、僅々二十錢也。二十五六年後の今日は、幾んどその三倍也。これでも、差がまだ少なし。常時奧州街道筋にては、普通十二錢五厘せしものが、今では六七十錢也。
翌朝清澄寺に詣で、あちこち見物しける程に、醉夢俄に腹痛を催して、歩行する能はず。宿屋に引返す。醫者は無し、藥はなし。こんにやくを温めて、醉夢の腹を温めけるに、痛みやゝ薄らげる樣子也。高等文官試驗の準備の爲に、同じ宿に寓して勉強し居れる新學士、傳へ聞きて、下劑を呉れ、計らずも便宜を得たり。熱を檢しけるに
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