て、元仁年間見眞大師も錫をこゝに留めしことありて、自作の肖像を殘せりと。老杉しげりて、古色一層掬すべし。
 一段下れば農樵の家あり。こゝを下町と稱す。こゝを過ぎて、なほ東に行き、高峯を左に見て、右に入れば芝生あり。其端に立ちて望めば、群山遠く重なりあひて、其のつくる處を知らず。清澄山も、その中にあるべし。こゝを九十九谷と稱するは、見わたさるゝ谷の多きをさす也。一大壯觀也。
 高峯には、三百級の石磴ありて通じ、全體に老杉しげる。上に白鳥神社あり。日本武尊を祀る。品川灣より鹿野山を望むに、連亙せる山上に、ぴよこんと、獨りつき出でて、尖りて最も高く見ゆるは、即ちこの白鳥神社のある處也。
 宿の座敷よりの眺望太だ好し。東京灣、近く一大明鏡をひらき、關八州の野、遠く蒼茫たり。富士も見ゆ。關八州の山々は、すべて、雙眸に入る。眞に天下の壯觀也。
 旅の宿は、今日限り、明日は都門に入らむとす。名殘りに、飮めや歌へや騷げやとて、興に乘じて夜のふくるを知らざりき。
 山の低きにもよれど、山上に村ありて、旅館まで多きは、他に其比稀れ也。眺望の雄大なるは、筑波山と相竝びて、關東の雙璧と云ふべし。[#地から1字上げ](明治四十二年)



底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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