知らざりき。
三 清澄山
同寓者四人のみの時に、瀬戸氏に留守番を頼みて、藤井、生駒二氏と共に、房州を一周せしことあり。朝、沼村の宿を出で、神餘、瀧口を經て、白濱に到る。大盤石のひろがりて、海につき出でたる處を野島崎と稱す。燈臺あり。浪あらくして、景致雄壯也。杖珠院に、里見氏の祖、義實の墓を弔ひ、七浦を過ぎて、白須賀の濱邊に來りし頃は、既に夜もふけたり。この行、露宿するつもりなりしかば、蚊の防禦にとて、蚊帳を携へたるが、この濱邊をそれと定めて、砂上に寢ころぶ。萬里の波上、たゞ一痕の明月を見る。蚊は、一匹も居らず。天涯より吹き來る風、凉しさの度を越して冷やかなるに、蚊帳を布團にかへて、すや/\眠りぬ。顏のかゆく、また痛きに、目をさませば、蟹の横行せる也。蟹にさめしは、我れのみならず、他の二氏も同樣也。一たび覺めては、またとは眠られず、冷氣身にしむ。時計を見れば、まだ午前三時すぎなれども、むしろ歩きて暖を取らむと發足しぬ。
海岸をつたひ/\て、小湊にいたる。こゝは、安房の最東端也。巨刹あり、誕生寺といふ。寺の名の示すが如く、日蓮の誕生したる處也。寺は、山を負ひ、山門怒濤に俯す。景勝雄拔、日蓮の英風と呼應して、山川に靈あるを覺えぬ。
天津まで戻り、左折して清澄山に上る。天津より凡そ一里、頂上に清澄寺あり。老樹しげる。こゝは、日蓮の少時修業せし處也。旅店もあり。一泊す。『明日の行先』は『保田』、『昨夜のとまり』は、まさか野宿とも記しかねて、よい加減に、地名と旅店の名とをかきたるは、われまだ年若かりき。
四 鋸山
あくる朝、寺を過ぎて、上ること七八町、最高峯の頂に至りしが、生憎雨にて、眺望を縱まゝにするを得ざりき。清澄山より天津を經て保田に至るの路、凡そ十里、安房の最北端に一貫して、一方は、東海岸に達し、一方は西海岸に達す。安房、上總の境をなせる鋸、清澄一帶の連山の麓を通ることなれば、路は平ら也。
日暮るゝ頃、保田に達しぬ。一昨夜は野宿し、昨夜は人並に宿にとまりたれば、今夜は一風かへて山上の寺にやどからむとて、路傍の茅店に晩食し、提燈かりて、夜鋸山を攀づ。寺のありかが分りかねて、あちこち騷ぎまはる程に、いが栗頭の坊主の來たるに逢ふ。『この夜ふかきに人聲は何事ぞと怪しみて出で來れるなり』といふ。宿からむことを乞へば、われらの服裝を諦視
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング