の清泉に渇を醫し、堂後の庭に、花菖蒲を見る。これが何よりの御功徳也。もとより堂内の本尊には、縁の無き衆生の身、村店の酒未だ醒めざれども、更に一酌をとて、此地に有名なる川甚に入る。水に望める座敷に上るより早く、道別、桃葉の二人、衣を脱して、川に躍り込む。われ山根氏を顧みて、君は如何にと云へば、水泳を知らずといふ。われは二人の眞似して、水に入つて見たるが、冷堪ふべからず、直ちに上り來て、風呂に入る。一冷一熱、衞生上、よいか、わるいか、知らぬが佛。浴より出づる山根氏、川より出づる道別、桃葉を待ちかねて團欒し、たすき掛けの女中に酌してもらひて、此料理屋獨得の川魚料理を肴に、酒のむ。松戸より來られしかとは、粗末なるわれらの服裝、どうしても、都の紳士とは見えざればなるべし。中れりと一笑して、且つ飮み、且つ眺む。三四室ある一亭、瀟洒にして、直ちに水に接す。江戸川溶々として流る。下流に、國府臺の林丘、欝蒼として横はる。この日は、白帆見えず。唯※[#二の字点、1−2−22]一艘、下流にあらはれて、閑鴎の浮ぶが如く見えしが、滿帆に孕まれし風つよく、間もなく近く眼前を過ぐ。舟の水を切る音、高く江天にひゞく。やがて又、遠く上りて、また白鴎の如し。長江むなしく悠々として天を浮べて流る。江山に對すれば、天地は人間にあらざれども、嚢中を思へば、心細し。熟醉を買ふほどの阿堵物を持たず。萬事の周旋は、一行中の世才に長けたる山根氏にまかせて、そのさしづのまゝに切り上ぐ。小岩停車場より汽車にのることと定めて、徒歩す。日暮れたり。螢ぼつ/\飛び來たる。
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夕闇や螢過ぎゆく鼻の先
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と山根氏の言ふを聞けば、どうにか、かうにか、句になつて居るやう也。見つけ次第、捕へて紙につゝむ。
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家土産に螢とらばと思ひけり
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と云へば、桃葉は、
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螢とぶや蓮田の上を一文字
螢とぶ里の土橋のくづれより
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われはまた、
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螢とぶ木蔭の墓標新しき
大螢終に逸せし川邊かな
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小岩停車場に着きて、上り汽車を待つ。片田舍の小驛の暢氣さ。事なきまゝに、驛長は少年の驛員を相手に、しかも、片馬はづしてもらつて、將棊をさす。われ見て以爲へらく、田舍の役所、學校などにて職務を妨げぬ限りにて、かゝる娯樂を爲せば、酒色などの誘惑をさくる方便ともなりて、至極よきこととて、一寸覗きし處、下手將棊王より飛車を大事がりの手合なれど、退屈まぎらしに見物す。二三回勝負つきたるが、斧の柄ならぬステツキは朽ちもせず、下界の、しかも下手の勝負つくこと早く、たゞ、ほんの、汽車を待つ間の、二三十分の事也。[#地から1字上げ](明治四十年)
底本:「桂月全集 第一卷 美文韻文」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年5月28日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
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