も無し。鶴の翼を張りたるが如き一株の松、富の松といふ八代將軍の命名に、空しく當年繁昌の跡を殘して、藥師の利益は、既にうすらぎけむ、參詣者、今は、まれ也。
 仁王門を出でて、左折すれば、小丘の上に石龕あり。石の鳥居も立てり。これ南洲留魂祠にして、勝海舟の建てし所に係る。建てし海舟も、今は地下に眠れり。いと荒廢せるさま也。橋絶えて、行くに路無し。池一面、水草生ひて、水を見ず。海舟や、南洲と肝膽相照せり。南洲が討死してより間もなく、即ち明治十二年にこの祠をたてたるは、知己に酬ゆる一片の涙のほどばしれる也。こなたの丘上に、石碑あり。南洲自書の詩を刻す。其詩の終りに、『願留[#二]魂魄[#一]護[#二]皇城[#一]』の句あり。祠名もこれより出でたるなるべし。海舟がこの詩をえらびたるは、南洲の寃を雪がむとの心もこもるべく、謀叛人を祀る辨疏の意も、ふくまるゝなるべし。裏面に、海舟の書を刻し、南洲が江戸市民の大恩人なる由をしるす。なほ別に、一碑あり。留魂碑をこゝにたてし時は、恰も旱魃に際せしが、石碑運び出さるゝに及びて大に雨ふり、建つる時にも大にふりて、農民雀躍して相喜べり、雲中に龍の姿さへあらはれたりなど、書きしるす。作者は、神官などにや、南洲の建碑と豪雨と何か關係あるらしく言ひなせり。こゝに來りて、最も感ぜらるゝは、海舟の誠心也。留魂祠、小なりといへども、澆季の世の中に、まことの朋友の道を語るもの也。
 橋畔の茅店に休息す。店前に一道の川あり。めづらしさうに、我等を見入る童子に問へば、一人の童子、新川なりといふ。水澄みたり、藻の花もさきたり。凉風青田をわたり、水をわたりて、いと心地よし。携へし握飯を食うて、なほ足らず。心太を買ひ、『なほし』を飮む。四人みな醉へり。陶然として、中川の土手を歩し、諏訪野の渡をわたる。桃葉しきりに、薫風や/\とうなりたるが、あとの句がうかばず。田のくさきに、道別は、糞風や/\とまぜかへす。醉うては、句も出來まじと云へば、桃風忽ち、
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薫風や直酒過ぎたる四人づれ
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といふ。何でもなき句も、場合に應じて、いと興あり。妙々と、ほめそやす。
 柴又の帝釋天に至る。三人とも、未だ人車鐵道を知らずといふに、導いて、發着所にいたりて、唯※[#二の字点、1−2−22]一目見物し、去つて精巧をきはめたる仁王門を見上げ、堂前
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